NO.2025 かつて鉄道線が存在、鹿児島交通加世田ステーションに保存されている鉄道車両のご紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 

 当ブログでは、NO.2024におきまして、上の画像にあります、鹿児島交通の路線バスで鹿児島~加世田間に乗車しました話題をご紹介しました。

 

 今回の鹿児島県内の訪問は、目的地は枕崎市でありましたが、今回の往路の行程では南さつま市加世田を経由しましてから枕崎市へと足を運んでおりまして、その理由としまして、かつて鹿児島交通には鉄道線が存在しておりまして、その加世田ではこれからご紹介しますように車両基地も存在していたなど、広い駅であった事を伺わせております。

 

 現在、以下画像のように鹿児島交通加世田支社が設けられておりまして、加世田ステーションとも称します以下画像のバスセンターがある場所がその場所でもありますが、鹿児島交通の加世田地区のバスの拠点である事を伺わせております。

 

 

 さて、今回はその加世田ステーションにあります、かつて駅として存在していた名残及び保存されております車両に関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 前回少々ご紹介しましたように、鹿児島交通にはかつて鉄道線が存在しておりまして、その名称は「枕崎線」と称されておりましたし、別称では前身が「南薩鉄道」でありましたので「南薩線」とも称されておりまして、鹿児島線の伊集院駅から加世田駅を経まして枕崎駅へ49.6キロの路線が存在しておりました。この中には、伊集院・枕崎・加世田の各駅以外にも前回もご紹介しました伊作駅など計23駅が存在しておりまして、加世田駅はこの路線の中心駅でもありました。

 

 また、かつては鹿児島線へ直通列車が存在しておりまして、枕崎駅から加世田駅・伊集院駅を経由しまして、国鉄鹿児島線に入りまして西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)への直通列車も存在してもいました。この運行キロは66.9キロに及びますが、薩摩半島を鉄道で回る事も可能であった事も伺わせております。

 

 そんな枕崎線は、昭和59年に廃止されましたが、この廃止前には利用者も減少傾向となっておりましたが、それを追い打ちをかけるように、昭和58年6月の豪雨被害日置~加世田間以外の区間で不通となりまして、それ以外の区間ではバス代行による運行となっておりましたが、結局は翌昭和59年3月に廃止となっております。

 

 現在のバス時刻表であります。現在も伊集院~加世田~枕崎間には路線バスが存在しておりまして、名称は「なんてつ線」とも称されております。このバス路線は、まさに廃止代行バスとしての存在が伺わせておりますが、鹿児島交通の鉄道線鹿児島交通のバスが引き継いでいる訳でもありますし、廃止前にも自社で代行バスが運行されておりましたので、そう言った所では効率的に良かった事は伺えてはいますが、やはり末期の事を考えますと正直複雑な印象でもあります。

 

 

 さて、再び加世田ステーションに戻りますが、画像の正面の部分がかつての加世田駅があった部分のようであります。現在その部分には新たにサイクルステーションや、前回もご紹介しましたように鹿児島交通のバス車庫も設けられておりまして、広い構内でありました旧加世田駅の名残をそう言った所で残しております。

 

 (鹿児島交通のバス車庫)

 

 

 そんな中には、現在2両の車両が屋外に保存されておりまして、かつて存在しました枕崎線の存在を偲ばせております。まずご紹介しますのは、DD1200形機関車(DD1201)であります。

 

 この機関車は、昭和36年に新三菱重工で製造されまして、この機関車は、正式には「36BBH」と言う形式となっておりまして、昭和36年式でBB型8気筒である事からこの形式であったとの事でありまして、翌昭和37年に製造されましたDD1202とともに当初は貨物列車として運行されておりましたが、その後昭和46年の貨物廃止以降は工事列車として使用されておりました。

 

 

 次は、バスセンターの向かいに保存されております4号機関車であります。

 

 この4号機関車は、旧南薩鉄道時代の大正15年に製造されたものでありまして、旧国鉄に導入されました1760形機関車と同型となっております。尚、かつては知覧へも鉄道が存在してもいましたが(薩南中央鉄道→鹿児島交通知覧線)、その向けに導入されました1両(1号機)とともに導入されておりました。

 

 以来、南薩鉄道→鹿児島交通枕崎線で活躍しておりましたが、昭和38年に廃車されまして、以来加世田駅で1913年製の2号機と保管されておりましたが、南薩鉄道記念館の開館に伴いまして保存されております。尚、この位置は2号機が保存されておりましたが、現在2号機は後述の場所へ移動しておりまして、その代わりにこの4号機が保存されております。尚、この4号機にはキャブ部分に弾痕が残されておりまして、昭和20年の空襲の際に銃撃を受けたものでもあります。

 

 (腕木式信号機・駅板と)

 

 

 こちらの画像は南薩鉄道記念館の建物であります。残念ながら、今回訪問時には開館時間ではなかったため、中に入る事ができませんでしたが、ここには南薩鉄道→鹿児島交通時代の資料が保存されております。正直見たかったのが本音ではありましたが、時間の都合もありまして見られなかったのは残念でありました。尚、以前は車両の展示などのスペースもありましたが、商業施設が設けられた事から規模は縮小されております。

 

 

 こちらの画像は、加世田の車庫に併設しておりました工場にありました旋盤機であります。この旋盤機は複数からなるものではあったようでありますが、よく見ますとその下の画像にあります銘板に「1907」と言う数字が見られます。実際に、この旋盤機は1907年にイギリスのメーカーが製造したものであったとの事でありまして、大変貴重なものであるようであります。

 

 また、別の旋盤機も保存されておりましたが、場所によりましては旋盤機の横に自転車や物まで置いてある所もあるなど、正直無造作な部分も見られております。やはり貴重なものであるならば、上の画像にあるような形で保存してあった方が正直良かったように思います。

 

 

 さて、前回バスが駐車していた所でありますが、実はここにも保存車両が保存されております。

 

 その前に、廃止前にはキハ100形気動車が6両、キハ300形気動車が3両存在しておりまして、先ほどご紹介しました国鉄鹿児島線乗り入れにはキハ300形気動車がATSを装備しまして乗り入れておりました。また、キハ100形気動車のうち2両は郵便車に改造されておりましたが、その後郵便の運行が廃止された後も荷物車として使用されていたとの事であります。

 

 そんな2形式のうち、キハ100形気動車が1両、103号のみがバスの整備場でもありますこの地に大切に保存されております。それは先述の南薩鉄道記念館の規模の縮小によるものでありまして、そう言った事からこの地に保存されております。

 

 今回はすべての姿を収める事ができませんでしたが、昭和27年に製造されておりました同車の姿を収める事ができました。尚、この車両は現在九州鉄道記念館に保存されておりますキハ07 41と同型との事でありますが、外観も丸っこい訳ですし、車内も以下画像のような形ではなかったかと思われますが、やはりシート幅は狭かった事も伺えるようであります(NO.2010参照)。

 

 キハ103号の隣にある車両は、岩崎産業(鹿児島交通の親会社)製のスイッチャーでありまして、日豊線の重富駅に存在しておりました専用線のスイッチャーとして使用されていたものであります。その後、専用線廃止後には鹿児島市内に保管されておりましたが、南薩鉄道記念館開館と合わせまして車両展示スペースからの子供列車用として運行させるために鹿児島交通に譲られておりましたが、使用される事もなく展示用として現在に至っております。

 

 そして、もう1両が、見る事ができませんでした先述の1913年製の2号機関車であります。1913年製と言う事で、もう105年になる訳ではありますが、屋内に展示されている事で保存状態はいいようでもあります。本当に、これら車両を詳しく見たかっただけに残念ではありますが、それでも大切にしていただければとは思う所ではあります。

 

 

 今回は、サッカー日本代表でもあり、「半端ない」方であります大迫勇也選手の出身地であります南さつま市加世田にあります鹿児島交通加世田ステーションに訪問しました話題を前回に引き続きご紹介しましたが、これでかつてはこの地に駅が存在していた事がご覧の皆様の中にも伺えていたのではないかと思います。私自身も、今回初訪問でもあった訳でもありましたが、正直これだけ構内が広かった事も伺えるところではありますが、本当に鉄道として存在していたならばどんな感じであったのだろうか?とも思う所でもありました。とにかく、保存されている車両は、これからも大事に保存しまして、後世に残していただきたいと思います。