精進の功徳【私釈2】 | 光明の生活

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実相無漏の大海に、五塵六欲の風は吹かねども、隨縁真如の波の立たぬ日は無し。まあそんな感じです。

精進が無ければ、あきらめたら終わりということですから物事、道果も成就しない。
逆に言えば、精進があれば諸々の善なる法は増えていくということです。
 
間違った見解というのは正しい見解を持てば無くなります。「灯りを暗室に入れれば、部屋に闇なきが如く、智慧の輝きは無明を断ず」というやつです。
ただ、福徳や修道所断の煩悩などは、段々と積んでいくしかないものです。
 
ネット上などでは楽して儲ける濡れ手に粟、と言わんばかりの話ばかりですが、昔から「千里の道も一歩から」で「塵も積もれば山となる」と思っていないと本当には成就しないのです。
 
人の褌で相撲を取ったり、相手を丸め込んでお金を集めたりするのは無論「妄語」「綺語」「両舌」で「慳貪」です。自戒ですけれども。
 
往々にして立派にできてる人を見てすぐああなりたいと思う。憧れて目標にするならいいですが、楽してああなりたいと駄々をこねるのは「慢」があるからです。これも自戒でございます。
 
精進を保つことによってこれらを破して、諸々の善なる法を成就する。
 
精進により善法増大し菩提を成就する。これが功徳であります。