精進が無ければ、あきらめたら終わりということですから物事、道果も成就しない。
逆に言えば、精進があれば諸々の善なる法は増えていくということです。
間違った見解というのは正しい見解を持てば無くなります。「灯りを暗室に入れれば、部屋に闇なきが如く、智慧の輝きは無明を断ず」というやつです。
ただ、福徳や修道所断の煩悩などは、段々と積んでいくしかないものです。
ネット上などでは楽して儲ける濡れ手に粟、と言わんばかりの話ばかりですが、昔から「千里の道も一歩から」で「塵も積もれば山となる」と思っていないと本当には成就しないのです。
人の褌で相撲を取ったり、相手を丸め込んでお金を集めたりするのは無論「妄語」「綺語」「両舌」で「慳貪」です。自戒ですけれども。
往々にして立派にできてる人を見てすぐああなりたいと思う。憧れて目標にするならいいですが、楽してああなりたいと駄々をこねるのは「慢」があるからです。これも自戒でございます。
精進を保つことによってこれらを破して、諸々の善なる法を成就する。
精進により善法増大し菩提を成就する。これが功徳であります。