精進の功徳【私釈1】 | 光明の生活

光明の生活

実相無漏の大海に、五塵六欲の風は吹かねども、隨縁真如の波の立たぬ日は無し。まあそんな感じです。

六度のうち、精進は特に他の五波羅蜜に通じて働くとされます。
 
これは自戒でありますけども、布施も持戒も禅定も、ただ一回か二回やって三日坊主で終わらせたのであれば、その成就は覚束ないからであります。
成就するまで、またこの一生や未来際を尽くすまでやり続ける。そのために精進はほかの五波羅蜜に通じて働くとされます。
 
上手くいっていたつもりがダメでも、思ったようにいかなくても、泥水すすっても這いつくばっても、何度生まれ変わってもこうと決めたら必ずそこまで情況を持っていく。
途中であきらめたらそこで終わってしまうので、精進によって他の五波羅蜜の成就もあるとされます。
 
このため、密教の六供養のうち、精進を象徴する焼香-香は燃え続けるので精進を象徴するー、香炉は真ん中に置く。これは今言ったように精進はほかの五度に通じて働くからであります。
 
 
〈参考〉
『選択集』第九章段 四修法篇に曰く。
「私に云く、四修の文見つべし。繁を恐れて解せず。
ただし前の文の中に、すでに四修と云って、ただ三修有り。もしその文を脱するか。もしはその意有りや。
更に脱文に非ず、その深意有り。何を以てか知ることを得る。
四修とは、一には長時修、二には慇重修、三には無余修、四には無間修なり。
而るに初めの長時は、ただこれ後の三修に、通用するを以てなり。
謂く、慇重もし退せば、慇重の行、すなわち成ずべからず。無余もし退せば、無余の行、すなわち成ずべからず。無間もし退せば、無間の修、すなわち成ずべからず。
この三修の行を成就せしめんが為に、皆長時を以て、三修に属して、通じて修せしむる所なり。故に三修の下に、皆結して畢命を期として、誓って中止せざる、すなわちこれ長時修と云うこれなり。
例せば彼の精進、余の五度に通ずるがごときのみ。」