「丹田活性化の世界観」 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「丹田活性化」による現象化の実例として「合気道」等を通しお伝えしています。

DNAの「二重螺旋」「写し」「転写」「翻訳」の現象化の「見える化」が「武道原理」として伝統伎として残されてきているのです。「武道原理」と「DNA原理」が「イコール現象」だとは誰も気づいていません。
「自我機能同期」の思考は常に「部位・部分の思考」に囚われて循環しているから気づけないのです。「生身感覚無き「思考循環」だからです。

 

塩田剛三の言葉「合気道人生」より

合気道の動きは、直線的な運動はほとんどなく、円運動です。

これは今まで述べてきたように、力の衝突、力の揉み合いは一切しない。 相手の力が十分流れるように誘導しながら、それが延び切って、無力化した瞬間をとらえ、技をほどこすのが、合気道の基本。ですから、相手の力を流し、しかも自分の体が相手の近くにあって、すぐ技がかけられるようにするには、自分が円運動を描いて体を捌くのが、最も無駄が少なく、効率的で、合理的であることは、すぐお分かりになると思います。

 

自分が円の軌跡を描いて動くわけです。コマが回る場合、コマは中央も周辺も回っています。 合気道も、自分が円運動を描くとき相手をもその運動に誘導します。時には相手を中央に、自分がその外周にあって円運動を行い、時には自分が中央にあって、相手を外周に置き、円運動を行うことがあります。この円運動は平面的ばかりでなく、上下の方向にも行うこともあり、また球面をすべるように相手を導くこともあります。

 

いずれにしても、相手の力を流すには円運動が最も効率的であるばかりでなく、円運動は直線的な動きと異なり、動きを止めることなく方向を自由に変えることができ、螺旋を描くこともできるので円運動の求心力、遠心力をも巧みに利用し、相手の体勢を崩して技をかけ、また円運動の永続性、可変性を利用して、無理なく連続技が行えるのも合気道の大きな利点です。


整理すると

1.相手の力が延び切って、無力化した瞬間をとらえて技を掛けるのが合気道の基本

2.自分が中心で相手を外周に置く。その逆もある

3.円は平面ばかりか、上下に、そして球面を滑るように導くこともある

4.円運動の永続性、可変性で、無理なく連続技が行える

 

直線的なものは、塩田剛三先生の動きで言えば、人差し指の一本拳による当身ぐらいだと思います。

僭越な言い方ですが、過不足ないと思います。しかもかなり分かりやすい。

 

合気道は円運動であり球運動であり、螺旋の動きである

『植芝盛平と合気道』から、田中万川先生の言葉を引用します。田中万川先生は戦前に親英体育道道主の井上鑑昭先生(植芝盛平開祖の甥)から指導を受け、昭和14年に徴兵され戦争に。終戦後、開祖と再会し、合気会大阪支部道場を開設されたということです。


合気道は円運動といいますが、丸い運動ではなく螺旋の動きが大切なのです。円運動は神経系統であるが故に、遠心神経に伝えられ、その円の働きが螺旋状に巻き込むように動作するのです。この螺旋状の遠心力が、相手の神経系統に円運動となって喰い込まれるから、相手は球状から出るのです(遠ざかるとか、はねられたとか)。これが合気道の動きです。いわゆる螺旋状であり、波状です。


そう、平面的な円運動はまずないと思います。二次元ではなく、丸い軌跡で三次元で上下左右に移動していけば、それだけで螺旋になるはずです。

後半の「相手の神経系統に喰い込む」というところは、私には分かりません。


他の直弟子の先生でも球運動とおっしゃっている方はいらっしゃいます。

以前、「球をまわす」のタイトルで動画をYouTubeにアップしました。これはほぼ、球体の表面をなぞるような動きです。

 

詳しくはブログ「『玉を捧げる』と『朝顔の手』どうつながるのか?」に詳しく書いていますが、初期の養神館では基本動作の終末動作の動きを「玉を捧げるように」と説明されていたそうです。

開祖がおっしゃっていたなら字を当てるなら玉、あるいは魂の方がふさわしいかもしれません。

ただ球をまわすことを動きの中で使うと、螺旋になります。

「合気道は円の動き」とか「円運動」という象徴的な言い方が一般化しているので、螺旋という言葉で語られることは少ないと思います。もしかすると植芝盛平先生は、螺旋という言葉を使われていなかったのかもしれません。

 

開祖が言われた円を描き、円の中心を知ること

最初に「開祖はそれほど円という言葉を使われなかったのではないか」と書いていますが、それはさまざまな書籍の中で、塩田剛三先生も、田中万川先生も、また他の直弟子の方々も開祖の言葉として語られていないのです。ご自分の解釈として、語られています。

開祖の言葉として記載されている書籍は、私の知る限り二冊あります。一冊は「合気道神髄」、そしてもう一冊は「武産合気」です。もちろん難解です。

 

「古武術と身体」から引用します。

合気というものは、初め円を描く。円を描くこと、つまり対照力。相手に指一本触れないでも相手は跳んでしまう

円を描く、円の中心を知る。円の中心こそ… それを愛の教育に移すのです。 いつも中心に立っている地球修理固成の魂の糸筋、一番の中心に立つことです

宇宙の気はすべて魂の円におさまります。おさまるがゆえに技も無限に包蔵され、生み出すこともできます。これが合気の魂の円です。

この難解な文章から開祖の意図されるところを読み取るのは、私には無理です。

しかし「円」を持ち出したのは、どうも円そのものよりも、宗教的な意味で「中心」をおっしゃりたかったのではないか、という気がしてきます。

 

合気道の△○□とは平面なのか

一方「武産合気」で使われているのは、円ではなく○です。

合気道の△○□として語られる○です。

△○□を物質的にいえば、天火水地、精神的にいえば四魂、即ち奇霊(くすみたま)、荒霊(あらみたま)、和霊(にぎみたま)、 幸霊(さちみたま)であります。これはどこから現われるかというと、二つの元、水火の二元の御振舞の緩急の度合から生れたのであります。

霊も物質も言霊であるし、宇宙の実体も言霊であります。しかしこれは普通の宗教者にはわからないのであります。これを生かす言霊の妙用が合気道であります。合気道は宗教にあらずして宗教なのであります。

でも解釈している人はあちこちに存在します。もっぱら「△に入身し、◯く捌き、□く固める」ですが、「武産合気」はサブタイトル「植芝盛平語録」。開祖から、丸く捌くなんて語りは、どこにも出てきません。


ヨーロッパに遠征し挑戦者を退けた望月稔師範の提言

望月稔先生の紹介を通して武道や和する合気について語った「心身一如の身体づくり」という本には、望月稔先生の著書『日本傳柔術』からの引用があります。

先に書いておくと、望月稔先生は昭和5年、講道館から植芝盛平開祖の元に派遣されました。講道館では三船久蔵先生の内弟子。さらに剣術、棒術、剣道、杖術、空手、手裏剣など武芸十八般を修行していたことなどから、派遣されたのかもしれません。

派遣先の植芝盛平先生の武道は、まだ合気道ではなく、大東流合気柔術の看板。

 

「心身一如の身体づくり」によると、望月先生は植芝盛平先生の技を見ただけで再現でき、入門後しばらくして門人頭を命じられたという。

そればかりか、植芝盛平先生は海軍大将竹下勇(門人でもあり、合気道普及の立役者)に仲人を頼み、娘婿になるよう説得を依頼したとあります。

 

「心身一如」は本来「身心一如」です。禅宗系の「仏教用語です。戦後教育の中で「身心」が「心身」と概念が反転しています。

言葉・文字表現は、その時々の「自我」の「意図」「思惑」で変遷しているのです。「反転」も円運動・螺旋運動です。

ちなみに日蓮系の教学では「法華経は『円満具足の経典』」として「信じて」「行じて」いるだけです。

知識として知っても「使えない」のが「自我機能同期」の「言葉」「文字⇒イメージ」遊びなのです。

「三船十段・球の原理」2019/08/14・4分47秒

https://www.youtube.com/watch?v=CcLFvJC3SKg&t=15s

 

動画「植芝盛平 合気道の真理

師範「高垣知良84歳」2019/08/12・28分40秒

世界の平和を愛し、合気道を愛するリアル仙人がここに!(本編) (youtube.com)

https://www.youtube.com/watch?v=53zDvDGcFyY