公開用1「唯識に生きる」 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

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「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

公開用1「唯識に生きる」3時間3分9秒 第4回~6回

NHK「こころの時代」で放映された第4回から6回までの後半を公開用1としてアップしました。

前半の第1回から3回までは、何度かブロックされました。

こころの時代「唯識を生きる」 7年前 横山氏当時77歳

放送概要をお伝えします。全てが生身無き「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びです。「翻訳転写」の「言葉」「文字」遊びです。

「ヨーガ」⇒禅定三昧⇒「瞑想三昧⇒迷走三昧」である事に気づけ無いお話しです。

Ⅰ「唯識を生きる」⇒ブロックされた動画です。

始めに「心」なる言葉・文字についての見方をお伝えします。

使用している「心」の単語・用語は「自我機能同期の用語」で言う「不安の補完用語」です。「心」と言う音声記号・文字記号は「自我機能」が解釈仮説の「不安の補完」として作り出した「言葉」「文字」です。

「心」と言う表現ではなく「意識」と言う表現が現実的です。

「意識があるか、無いか」は医療現場では当たり前の診断基準になっています。「生身感覚」が無いと「心」となり、「生身感覚」を診ると「意識の有無」になっている事を念頭に読んだり・見たり・聞いたり、してみると検証確認できます。

「自我機能同期」では「心理主義」が現象を歪曲化しているのです。心理主義者は現象変換を循環しながら「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びを展開しているのです。

 

1-「唯識の基本思想」2017年4月16日

仏教の根本思想『唯識(ゆいしき)』。「この世の一切の存在は、自分の中の『識=心』が作り出した仮のもので、『唯だ識』すなわち『心のみ』が存在する」と説く。心の奥深くに沈潜するヨーガを実践し、人間の心を徹底的に観察し分析して、心のありようを深層から変革する方法を打ち立てた。第1回は、『唯識』の歴史的な成り立ちとともに、「自分というものすら存在しない」と説く『唯識』の基本思想を学ぶ。

2-「唯識・自分とは何者」2017年5月21日

仏教の根本思想『唯識(ゆいしき)』。「この世の一切の存在は、自分の中の『識=心』が作り出した仮のもので、『唯だ識』すなわち『心のみ』が存在する」と説く。めい想をして心の奥深くに沈潜するヨーガを実践し、人の心のメカニズムを徹底的に観察し分析して、心のありようを深層から変革する方法を打ち立てた。第2回は、『唯識』が「自分とは何者か」という根源的な問いに対して、どう向き合うべきだと説いているのかを学ぶ。

3-「唯識を体得する」2017年6月18日

仏教の根本思想『唯識(ゆいしき)』。「この世の存在はすべて自分の心が作り出したもの」と考え、心のありようを積極的に変える実践を説く。瞑想をして心の奥深くに沈潜するヨーガを実践し、人の心のメカニズムを徹底的に観察し分析して打ち立てられたのが特徴だ。第3回は、『唯識』は単に言葉では言い得ない、ゆえに言葉を離れて、心と身からなる体全体で獲得するという意味の“体得”をしなければならないことについて学ぶ。

参考図書⇒関心のある方はAmazon等で購入して下さい。

NHKこころの時代~宗教・人生~ 唯識に生きる (NHKシリーズ) – 2017/3/27

Ⅱ「唯識を生きる」⇒公開している動画です。

4-「深層・健康」2017年7月16日

『唯識』では「煩悩」を持った心のありようを不健康ととらえる。煩悩とは心身を乱れさせる心の汚れ。健康になるには、心の深層に潜む煩悩の種を焼き尽くし、浄化させないといけないという。その力の一つとなるのが「無分別智(むふんべつち)」。自と他を分けず、今ここになりきって生きることが必要だと説く。また、人生の三大目的についても考える。さらに、小野文惠アナウンサーの「今ここになりきる」ための体験リポートも。

5-「唯識の科学性」2017年8月20日

「因縁生起(縁起)」という法則によって、人の心のありようを追究する唯識。根本原因である「因」は、深層心に潜む業の種子であると説く。今回、横山さんは、東京大学の研究施設を訪ね、素粒子論や宇宙論の分野で最先端の研究を手がける物理学者と対談。唯識と科学の共通点と相違点を浮かび上がらせ、それぞれの役割について考える。唯識の具体的な活用法を伝える小野文惠アナウンサーの体験リポートでは、兵庫県の禅寺を訪ねる。

6-「唯識・いのちの時代」2017年」9月17日

36億年前に地球上に生じ、すべての生命が共有している「根源的いのち」は、一人一人の深層心理である阿頼耶識に流れ込んでおり、良き種子を育てるためには教育が重要と説く。今回、横山さんは岐阜にある臨済宗の修行道場を訪ね、山川宗玄老師と対談。私たちが生かされている「いのち」のありようと、それに気づくための教育について考える。唯識の教理を応用し、馬とふれあう中で、子どもたちの心を育む取り組みも紹介する。

「始まりの無い、はじめから、終わりのない、終わりの中で、いま、ここに存在するイメージ図」