本日のブログ記事「怒り」の続き。
こうやって30分程度、簡単に話をして帰って行く。こんなの、意味ないだろう!
「申し訳ないけど、一人の患者さんに対応できるのは30分が限界なんですよ」
もういい!帰ってくれ。
医師と看護師が帰ると、石田氏が俺に話しかけてきた。
石田氏の姪の女性と、ケアマネジャーの栗山氏が顔を見合わせて、驚いた顔をしている。
「あんた、手話を覚えたきっかけは?」
40年前、学生時代に、同じ学部にろうの学生がいて、彼と友達になったのがきっかけです。
「へー、そうなのか」
はい。
「今まで、何人も、手話通訳者に会ってきたが、スムーズに会話できたのは、あんたが始めてだ」
ありがとうございます。
「あんた、子どもはいるか?」
はい。息子が二人。二人とも、もう大人です。
「そうか。始めて父親になった時を、覚えているか?」
はい。覚えています。
「嬉しかっただろ?」
はい。子どもが好きなので。我が子となると、かわいさはひとしおで。
「そうだよな。これは、聾者でも聴者でも、同じだ」
そうですね。
「赤ん坊が、始めて笑ったとか、始めて言葉を発したとか、そんな時、親は嬉しいよな」
はい。
「俺は今年で80歳になる。今はもう、楽しいことなんか、全くないよ」
・・・・
「あの頃が一番幸せだったよ」
そうですか・・・
「今、友人たちは亡くなってしまったり、俺みたいに病気で外出できなくなっている」
・・・・
「生きていても、何もいいことなんかないよ」
・・・・
「次の訪問診療の通訳も、あんたが来てくれよ」
ありがとうございます。コーディネーターに伝えます。
石田氏の姪の女性と、ケアマネジャーの栗山氏が顔を見合わせて、驚いた顔をしている。
女性が話しかけてきた。
「驚きました。伯父がこんなに長く話をしたのは、始めてです」
そうなんですか。
「私たちも、当日まで、誰が来るのか、わからないんです」
えっ、手話通訳者だけでなく、医師とか、ケアマネジャーとか、誰が来るか、わからないんですか?
「そうなんです」
なるほど・・・手話通訳者も、誰が来るわからないとやりにくいですが、ご本人もそうですよね。
「はい」
では、失礼します。
「もし可能でしたら、次回も、たいしさん、通訳お願いします」
はい。ありがとうございます。
帰ろうとすると、再び、石田氏が話しかけてきた。
「次回も、あんた、通訳に来てくれよ」
はい。都合が合えば、また、通訳担当させてもらいます。
手話がうまいとか、そういう褒め言葉も嬉しいが、今回のように、「次回も、あんた、通訳に来てくれよ」という言葉は、最高の褒め言葉だと思う。
必要としてくれる人がいるなら、頑張らないとな。