断捨離ズボラー光子です
サイトの記事を更新しました
今日は次世代網戸の「クリアネット」について見積もりも公開してまーす(о´∀`о)
グレードアップ料金がまさかの数千円
こちらからどうぞ
さて本日は、この記事の続き↓
たくさんの「イイネ」共感いただきありがとうございました
お正月に実家に帰って
母の荷物の断捨離の仕分けを手伝っている時の話の続きになります
まずは、リブログ記事をお読み頂けると
話のつながりがわかりやすいかと思います
母の断捨離をお手伝いしながら
母がこぼしました
「お母さんの時代は服も高くて自分で作ってたの。バッグや装飾品もなかなか買えなかったから、つい欲しくなって何年も何十年も手放せないのよね。ダメね。」
それを聞いて私は思った
ダメじゃない
全然、ダメじゃない
そりゃ、物が山程溢れかえって、管理が難しくなったり
物理的にカビや不衛生などが生じて
それで気持ち良く過ごせないという事象自体は良くないかもしれないけど
いろんな我慢をしてきた
時代背景がそこにあるからこそ
手にすることへの喜び
愛着が湧いて手放せないんだから
決してダメなことじゃない
時代が変わってきて
今は「持たないことが賢い」という価値観に変わりつつあるけど
それは今の時代であり
それに当てはまる人が当てはまれば良いと思うし
そうでない人が決して「ダメ」ではない
今までは母に対して
「さっさと手放せるように特訓だ!」
「執着を無くそう!物を減らそう」
と、私は勝手に意気込んでいましたが
母の言葉を聞いて
そして、手放せず悲しんでいる姿を見て
お母さん、そのままでいい
と思った
ただ、母は変わりたいと思っている
「いずれ、お母さんも居なくなるから。ちゃんと整理しておかないと。あんた達に迷惑かけないようにするからね。」
そう。いずれ。別れる時が来る。と
分かっていても、
やはり言葉にすると哀しくなるもんですね
焦らさず
ゆっくりペースで
難易度の低い工程から順番に(例えば手放しやすい価格や愛着のものから順番に。大きな迷ったボックスを設置。いきなり捨てるとかではなく、誰かに譲るとか売るなど。)
必要な時には、必要な助言・後押しを
そして、物を手放せない母親を否定せず受け入れたい
帰郷中は、昔のように
和室で母と、私の子供達と
川の字になって寝た三日間
私を
何不自由なく育ててくれたことを思うと
感謝と切なさが溢れ出して
胸がぎゅっと苦しくなった
なんだかんだ私は
ありのままのお母さんが好き
でも、
変わろうとしてるお母さんを応援するから
帰りの車から両親に手を振った
ずっと見えなくなるまで両手を振るお母さん
小さい頃から見慣れた古い割烹着を着ていて
「ああ、私のお母さんだ」と温かい気持ちで家路についた
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