しゃけ(元捨毛法師)の大学日記 -9ページ目

しゃけ(元捨毛法師)の大学日記

社会人一年目。

元marchのどこか
2021年3月卒業しました。

こんにちは。またサッカーの話。

 

レアル・マドリードのフベニールA(19歳以下のユースチーム)が、同年代で行われる国内大会を優勝したそうです。

延長前半に決勝ゴールを決めたのは、ピピこと中井卓大。

 

2003年10月生まれなので、現在18歳。そのため一つ飛び級しているのかな?

 

久保もバルセロナの下部組織におり、色々あって日本に帰国せざるを得なかった。

その後なぜかレアル・マドリードが買取、現在はレンタル修行中。

彼は2001年6月生まれなので、今20歳。

 

他には、アーセナルで活躍する冨安は僕と同い年の23歳だったはず。

 

こうやってスターになりそうな選手が出てくるのは楽しみなんだけど、他のトッププロはどんな道を歩んできたのか気になって調べてみた。

 

例えばムバッペ。

23歳でPSG所属だけど、15歳でモナコでプロデビュー。17歳でプロ初ゴール。

19歳でPSG移籍。

 

あとはモドリッチ。

18歳でクロアチア1番のクラブのトップに昇格。

レンタルで2年やってから、戻ってきてリーグ優勝に貢献。

 

その3年後トッテナム移籍。

 

こういう例を挙げたときに、日本からこういう選手が出てくるのはまだなのかなと思ってしまう。

 

レアルの話をするならば、下部組織にいつまでもいてもトップチームには上がれない。

U 23のカスティージャという組織にいくことが中井にとってのファーストステップではありますが、少なくとも一度はレンタルでスペイン一部や2部上位のチームで揉まれていかないと、レアル含む欧州のトップでは戦えない可能性が高いですね。

 

カゼミーロ、カルバハル、バルベルデ、アクラフ(今いないけど)、バスケス、誰をみても下部組織から直接上がっている人はいないと思います。

 

とすると、やはりレンタル先で結果を出して、(そうすると他チームから声もかかるが)それを超える期待を獲得して、ようやくレアルに来れるというわけです。

 

ちなみにアクラフはそれで売却し、なおかつパリに転売されたので、レンタルバックの権利も失っているはずです。

なんであんな愚かなことを、、、

 

あとは、そのチームの適性があるかというのも大事ですし、見合ったクラブにいるのも大事です。

前者でいえば、ウーデゴールが挙げられるでしょう。

彼はアーセナルでも活躍していたけど、やはり433のシステムに合わないんですよね。

トップ下ポジションのハメスやイスコもそうでしょうが、完全にフィットしきれないという選手は多々います。

 

そうしたときに4231とかやるようなチームや監督のもとで活躍できることを祈るしかないですよね。

 

後者でいえば、南野かな〜

前も書いたけどステップアップしすぎだね。

今リーズに行く噂出てるけど、そういうチームでのステップアップを一度踏むべきだったと思います。

 

後にならないとわからないけど、この2年くらいは彼にとってそこまで大きな収穫ではなかったと思う。

ステップアップを吹っ飛ばせるのはムバッペのような選手だけなんだよな。

 

ただ日本から上記のようなスーパースターが出てくるのを待ち侘びています。

 

楽しみだ。

 

こんにちは。

このブログを読んでいただいている方ならお気づきだとは思いますが、僕はよく否定するタイプだと思います。

 

よくないことだとは思いつつ、それが継続されている気がします。

 

しかし、最近色々情報に触れる際に、なにかと否定しているメッセージを見ると、なんか疲れるんですよね。

 

それこそ否定には大きな影響を与える力がありますし。

 

でもそこから何か大きなものを得られるかというと、必ずしもそうではないと言えます。

否定することで、見えてくることもあります。他の選択肢を考えることにもつながりますし、なにが正解とされているのか、自分で正解だと考えているのかを導くこともできます。

 

それと同時に否定することによって落とすものもあるように感じます。

触れたものを拒絶してしまうのは自分の広がりを阻害することにもなるし。

 

そして、ネットの世界では否定するにしろ肯定するにしろ、本人の感情が見えにくいことも影響しています。

つまり、その否定は思いやりがあるのか?肯定したけど本音なのか?みたいなことです。

 

嘲笑を含んだ同意はいらないし、思いやりがある上での否定には意味があります。

 

こう考えると、重要なのは、「自分で深く考える」ことかなあと思います。

 

好きなことは考えますね。誰だって。

嫌いなことはなんで嫌いなのか、どうすれば好き(良い)になるのか。

 

人間のあらゆる根源は脳機能に帰結しているんだろうか。

 

ちょっと頭使って生きようと思います。

 

 

さてペヤングとタイトルにありますが、ペヤングって最近辛いバージョン出して話題になってますよね(ネットで)

 

ペヤングって割と一種類だけでこれまで生きてきたような気がするんです。

ただ結構前に、肉がないとかちょっと変わり種を発売したような気もします。

 

それはともかく、今回のような話題作りの商品を提供するのはどうなんでしょうか。

 

マーケティングという意味では悪くないでしょう。きっとコストもそこまでかからないでしょう。

しかし僕はあんまり賛成できないアイデアです。

長期的な売り上げなどを見据えていないような気がします。(知名度なら別)

 

そっちに舵を切ると、食品業界本来のコスパや食品の質というので勝負していないことになります。

とはいえ、じゃあ何で勝負するかってなると、難しいところですね。

 

この時、ペヤングはすでに売れていて、継続してきた一種類にこだわるべきかという命題があります。

他のサービスでもそうなんでしょう。

 

既存のやり方に固執することがダメなんでしょうか?

僕もおおよそこの答えには、Yesと答えますが、ペヤングのことを考えるとNoとも言いたくなります。

 

固執することというより、固執することが悪い選択であった場合(本来先天的に知り得ないが)、

ダメということになるでしょう。

 

いやーおもしろいね。

これを持続的イノベーションと呼びますが、これのジレンマを越えるのは難しいし、それがジレンマかすら判断するのが難しい。

 

例えばOfficeのアプリケーションとか、Adobe製品とか、ちょっと触って明らかにUXが落ちることがありますからね。Twitterも。

 

そうならないのが望ましいけど、社員は常に結果を出すことを求められると、なんか作っちゃうんだろうなあ〜

 

ビジネスってむずかしい。

こんにちは。前消えた記事を書きます。

 

Twitterの使い方についてです。

Twitterに毒されると、何を信じればいいのかわからなくなります。

 

面倒なので隠さずに例をあげようと思います。

 

あるVC(ベンチャーキャピタル)を僕はいいなと思っていました。

彼はどうやら”良さげな暮らしをしているサラリーマンのツイッター民”に評価されていないようです。

どうやら投資先の企業に言ってることがすぐ変わるだの、信頼に欠けるなど。

 

正直なところはわかりません。

しかし、その”良さげな暮らしをしているサラリーマンのツイッター民”=スーパーサラリーマンとでも呼びますが、彼らの言葉も信用していいかわからないものです。

 

なぜなら、彼らが本物である証拠はないから。

すると彼らの言動から判断する必要があるわけですが、どうも本物に見えなくもない人と「それっぽい」人がいるわけです。

 

それっぽい人間の言うことはそれはそれはそれっぽいのです。

僕も座学という意味ではビジネスに多少知識がありますから、彼らと同じような発言は簡単にできます。

 

しかし、僕は外コンでも外銀でもはたまた総合商社の人間でもないわけで、港区に住んでいるパパ活女子の生態を知っているなんてこともないわけです。

 

それでも調べればある程度手に入る情報ですし、真似することなんて容易いわけです。

 

彼らは本当に30代年収1000万超えの外資系サラリーマンなのか、それとも品川に本社のある年収500万のサラリーマンなのか。

 

そして、こんなことを考え、疑うたびに、ここで得る情報に価値はあるのか?とも思うわけです。

 

それ以上に僕は疲弊し、心が荒んでいくように感じます。

そうであるならば、こんな使い方はやめるべきではないかと思っています。

 

最近SNSでやることもなくなってきたし、時間を潰す行為であるならばyoutubeや漫画やアニメや映画でもいいわけです。

 

昔ツイートだけできるサードパーティのアプリがあり、それを使っていたので、久々に使うのもいいかなと思っています。

僕は思考を頭に留めておくのがあんまり得意ではないようで、忘れてはまた思い出すということを頭で行なっています。

だからこうやってブログやついったーなど文字にすることで自分の思考を明確にしようとしています。

 

僕がそういったツールから全て離れることはないでしょうし、そうであったら寧ろもっとやばい状況だと思っています。

 

見たいものを見るというのは、Web2.0になって強化されたと思いますが、

そのデメリットに目を向けすぎて、逆に苦しんでいるような気もします。

 

確かに従来のマスメディアは一覧性があったと思います。つまりいらない情報も無理やり入ってきます。

それはインターネットに比べて、無駄だと思うようにもなっています。

しかし、それをあまりに強く思い込むことによって、インターネットでも広い情報を手に入れることにもつながります。

全く悪くことではありません。価値観や色んな立場の意見を見ることが重要なのは自明です。

 

同時にインターネットで得られる意見は時に過激なものが多いのもまた自明であると思います。

それを見にいって傷つくことは良い行動ではないと考えます。

 

例えば好きな誰かを批判しているサイトやスレを見に行って、誹謗中傷などを見れば傷つく人が多いのではないですか?

かといってアンチと戦うのもしんどいと思います。心が荒みます。

(したい人はしてくれと思いますが)

 

では最善策はどこにあるのでしょうか

1マスメディアだけを見る

→これはあまりに保守的すぎます。自分にはあり得ない選択肢です。

 

2インターネットを見るが、見たいものだけ見る

→これはネットを使う人間が増え始めた段階での使い方ではないでしょうか。僕はこれを推したい。

 

3インターネットを見るし、見たくないものも見る。

→これは上述したようなアカウントなどを疑いながら見ることに近いと思います。もちろん全てを見れるわけではありませんが、できるだけ色々な意見をみようということです。

 

今は陰謀論や誹謗中傷や浅いアンチなど見るに耐えないものが増えたと思います。

インスタグラムのおすすめ?検索欄も興味のないものが増え始めています。

(余談ですが、Instagramの創業者たちが守ろうとしたものはもはや存在しないと言えます。広告やリコメンドシステムが明らかな改悪をしています。)

 

ということで、しばらくSNS、および必要以上の情報の獲得は気をつけようと思います。

 

それ以上にスマートフォンで何をするか考えないといけないなあと思います。

最近はSNSでやることがないので。

 

ニュースを読む気にもならないし、かといってなにもしないのも嫌だなと思っています。

 

というわけで長々書きましたが以上です。

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

最近オンにしていない昨日の通知が来て、バッジが消えません。


がっつり書いた記事を途中で放置してたらいつも保存してくれるのに、この前は保存してくれなかった。


まあ力を入れていないのだろうけども、勘弁してくれ。