こんにちは。前消えた記事を書きます。
Twitterの使い方についてです。
Twitterに毒されると、何を信じればいいのかわからなくなります。
面倒なので隠さずに例をあげようと思います。
あるVC(ベンチャーキャピタル)を僕はいいなと思っていました。
彼はどうやら”良さげな暮らしをしているサラリーマンのツイッター民”に評価されていないようです。
どうやら投資先の企業に言ってることがすぐ変わるだの、信頼に欠けるなど。
正直なところはわかりません。
しかし、その”良さげな暮らしをしているサラリーマンのツイッター民”=スーパーサラリーマンとでも呼びますが、彼らの言葉も信用していいかわからないものです。
なぜなら、彼らが本物である証拠はないから。
すると彼らの言動から判断する必要があるわけですが、どうも本物に見えなくもない人と「それっぽい」人がいるわけです。
それっぽい人間の言うことはそれはそれはそれっぽいのです。
僕も座学という意味ではビジネスに多少知識がありますから、彼らと同じような発言は簡単にできます。
しかし、僕は外コンでも外銀でもはたまた総合商社の人間でもないわけで、港区に住んでいるパパ活女子の生態を知っているなんてこともないわけです。
それでも調べればある程度手に入る情報ですし、真似することなんて容易いわけです。
彼らは本当に30代年収1000万超えの外資系サラリーマンなのか、それとも品川に本社のある年収500万のサラリーマンなのか。
そして、こんなことを考え、疑うたびに、ここで得る情報に価値はあるのか?とも思うわけです。
それ以上に僕は疲弊し、心が荒んでいくように感じます。
そうであるならば、こんな使い方はやめるべきではないかと思っています。
最近SNSでやることもなくなってきたし、時間を潰す行為であるならばyoutubeや漫画やアニメや映画でもいいわけです。
昔ツイートだけできるサードパーティのアプリがあり、それを使っていたので、久々に使うのもいいかなと思っています。
僕は思考を頭に留めておくのがあんまり得意ではないようで、忘れてはまた思い出すということを頭で行なっています。
だからこうやってブログやついったーなど文字にすることで自分の思考を明確にしようとしています。
僕がそういったツールから全て離れることはないでしょうし、そうであったら寧ろもっとやばい状況だと思っています。
見たいものを見るというのは、Web2.0になって強化されたと思いますが、
そのデメリットに目を向けすぎて、逆に苦しんでいるような気もします。
確かに従来のマスメディアは一覧性があったと思います。つまりいらない情報も無理やり入ってきます。
それはインターネットに比べて、無駄だと思うようにもなっています。
しかし、それをあまりに強く思い込むことによって、インターネットでも広い情報を手に入れることにもつながります。
全く悪くことではありません。価値観や色んな立場の意見を見ることが重要なのは自明です。
同時にインターネットで得られる意見は時に過激なものが多いのもまた自明であると思います。
それを見にいって傷つくことは良い行動ではないと考えます。
例えば好きな誰かを批判しているサイトやスレを見に行って、誹謗中傷などを見れば傷つく人が多いのではないですか?
かといってアンチと戦うのもしんどいと思います。心が荒みます。
(したい人はしてくれと思いますが)
では最善策はどこにあるのでしょうか
1マスメディアだけを見る
→これはあまりに保守的すぎます。自分にはあり得ない選択肢です。
2インターネットを見るが、見たいものだけ見る
→これはネットを使う人間が増え始めた段階での使い方ではないでしょうか。僕はこれを推したい。
3インターネットを見るし、見たくないものも見る。
→これは上述したようなアカウントなどを疑いながら見ることに近いと思います。もちろん全てを見れるわけではありませんが、できるだけ色々な意見をみようということです。
今は陰謀論や誹謗中傷や浅いアンチなど見るに耐えないものが増えたと思います。
インスタグラムのおすすめ?検索欄も興味のないものが増え始めています。
(余談ですが、Instagramの創業者たちが守ろうとしたものはもはや存在しないと言えます。広告やリコメンドシステムが明らかな改悪をしています。)
ということで、しばらくSNS、および必要以上の情報の獲得は気をつけようと思います。
それ以上にスマートフォンで何をするか考えないといけないなあと思います。
最近はSNSでやることがないので。
ニュースを読む気にもならないし、かといってなにもしないのも嫌だなと思っています。
というわけで長々書きましたが以上です。
読んでいただきありがとうございました。