しゃけ(元捨毛法師)の大学日記 -30ページ目

しゃけ(元捨毛法師)の大学日記

社会人一年目。

元marchのどこか
2021年3月卒業しました。

みなさん自己啓発本って読みます?

 

僕は読んでいたんです。

 

ただ、最近は読まなくなりました。

 

理由として2つ。

 

1つ目、言ってること同じだからもう新しく知れることがあんまりない。

 

2つ目、最近やたらにネガティブになることがないので、モチベーションは自分で保てる。

 

そもそも、自己啓発とか経営者のマインドとかの本って、似たこと書いてあるじゃないですか。

 

結局彼ら(成功者と仮定すると)が一般人と違うところって、「やろうと決めたことをやる」

 

これに尽きるんじゃないかな?

 

だから、それは頭で理解できたし、あとは自分の行動次第じゃないですか?

 

本読んで理解して、行動に移せない人がさらに別の本を読む必要ないよね。

 

モチベーションに関しては、自己啓発本読むと、やる気が出るんですよね。

 

ただその分少し本を読む時間を取られるじゃないですか。

 

なら、やる気がある時にわざわざ読まなくてもいいよなと。

 

落ち込んでいるときには、そういうことも必要かもしれないけどね。

 

ちなみに、自己啓発本読んでもモチベが上がらない人間もいるそうなので、全員に効果があるかは怪しいです笑

 

さて、大学生でいるのもあと1ヶ月しかないのか。色々最後にやれることをやろう。

 

 

こんにちは。

 

今回は、気になる記事というか、その中で筆者が言われた言葉が心に残りました。

 

筆者は主人公の京大生だと思います。外資銀行に新卒で務めることになった方の記事です。

 

余談というか、なんでこういう役にも立つし、面白みもある文章をかけるんでしょうね?

 

今まで他で見たことはあんまりないですが、いわゆる知名度がかなりある記事や人の文章は面白さと学びを両立していてすごい。

 

アメブロで有名な大学生ブロガーでも、ここまでのインパクトは感じないなあ。

 

すごくいい文章って、自分が経験してきた話(受験とか)でも価値を高く感じるんだよね。

 

さて本題へ。

 

 

最初見た感想は、「高学歴でもやっぱりこういうなんとなくで就活する人いるんだろうな〜」という感じ。

 

行動は早めですが、めちゃくちゃ強い願望があるとかではないように見受けられました。

 

一番言いたいのは、リンク貼った次の2の記事で、筆者が部長に言われた言葉です。

 

「この金額は2つが含まれている。ひとつは君への先行投資だ。このお金を使ってできるだけ学べ。本を読むのもいい。お前は英語ができないけれど入社すれば絶対必要だ。だから英語は特に勉強しろ」

「もうひとつは住環境のためにある。家は会社から半径1キロ以内にしろ。電車で通うなんてありえない。上司に呼ばれれば24時間365日、すぐに飛んでこれる距離、そして睡眠時間を少しでも長くするための距離。そこは絶対にケチるな」

 

外資銀行だから相当にサラリーが高いというのを加味しても、日本で働く大卒社会人にも言えると思う。僕もそうだ。

 

それを踏まえて聞くと、なおさらこの言葉は重い。

 

新卒なのに、一般の大手企業の10歳上の人たちよりも多く給料をもらう立場であれば、(あくまで例なので、実際のサラリーは知らない)なおさら重くのしかかるはずだ。

 

まず、先行投資としては、長期的に働くとなった時、最初に教育してもらった分をお返しするわけですよね。

 

であるなら、新卒という立場を活かして、ビビりすぎずに責任を果たそうとすることが必要だなと思います。

 

失敗しても最悪先輩方が助けてくれるでしょう。そうはいっても迷惑をかけたくないものですが、目立たないように仕事をするのは結果的にマイナスだと思います。周りにとっても本人にとっても。

 

2つ目の、住環境ですが、これもわかります。

僕の職場も結構ちゃんとした額が出ます。

 

外銀までタフな仕事ではないかもしれませんが、それでも近いことで、仕事のパフォーマンスを上げるというのは効果的だと思います。

 

給料をむしろ減らして新卒の住居費を上げれば、実家住みの人間に支払う額が減るし、近場やいい家に住んでくれるからパフォーマンスやモチベーションも上がるでしょうし、メリットが多いんではないだろうか。

 

まあ住居手当は役職や勤続年数に応じて伸びないので、一概に言えないですが。

 

というわけで、僕も都内のいい場所に借りたいですね。

 

1回乗り換え30分くらいのエリアでいいところがあるんですけど、電車で7分くらいの位置にも借りれそうなエリアあるんですよねえ。

 

治安も良いし、それこそさっきの記事の部長が言っていた、睡眠時間をケチらないってめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。

 

余談ですが、埼玉県民の睡眠時間は最も短く、割と寿命も短いんじゃなかったかな。

 

これは都内に働きに出るが、通勤時間が長いため、自ずと睡眠が削られて健康に影響が出るというのを表しています。

睡眠時間が短くなって、仕事に悪影響が出ればそれが収入や出世にも影響してくると思いませんか?

 

家を買うときはこの限りではない(もちろん桁違いに値段が上がるため)ですがね。

 

話を戻すと、とはいえ一キロ圏内はきついですよね笑

まさに金融系などの営業に近い仕事をやる人間には必要かもしれませんけどねえ。

 

うーんでも今度不動産屋で聞いてみようかなとは思います。

 

職場からめちゃくちゃ近いところね。

 

地域密着型の不動産屋も巡りたいなあ。

 

という話でした。

 

また長くなってしまったね。

 

非常に申し訳ないんだけども、また読んでくれた皆さんありがとう!

 

 

なんか最近身分を偽っているブロガーがいる気がするんだよなあ。

 

前もそういうのいたしな〜(その人はかなり手の込んだやり口だったけど)

 

一つ微妙な点を挙げるとすれば、思考かな。

 

自分に似てガキっぽい。

 

まあ話半分に見ておきます。

 

さて次の話だけど、僕は暇な身分ですから、いいねしてくれる人やフォローしてくれる人のブログも読んでいます。

 

大学生が読んでくれているみたいで感謝この上ないんだけど、多くの人が書くブログってすごい情報が少ないんだよね。

 

身バレは気をつけても、あまりにもシークレットにしすぎると面白みがないと思いますよ。

 

いい子ぶる必要もないし、そういう人間臭いブログって面白いじゃないですか?

 

嫉妬しても、自慢してもいいと思うんですよある程度

 

なんとなくその基準でブログを読むか決めているので、新しく見ているブロガーさんの記事はあんまリピートしてません。

 

それこそ、昔からの読んでいた関係抜きにしても、僕らが高校の時に書いている人の方が色々情報出してていいと思うな。

 

より思想を深くまで読み取れる気がします。そういう新しい知がすごくブログを読む気持ちを駆り立ててくれる。

 

 

 

あと、常々言っているようなことがありますが、善人ぶるのは辞めようって話です。

 

善人に見えて、裏側が見えてしまった時、その人との関係が近ければ近いほど辛くなりませんか?

 

何より、偽っていたというのが悲しい気持ちになるんですよね。

 

最初からできるだけありのままを出せればいいのにね。そんなうまくいかないけど、ましてブログなんだからなあ。

 

前回載せたブログの方の見習うべきところは、ありのままの自分をさらけ出していることです。

 

自分が優秀な人間ではないのかもしれない、弱いかもしれないって言っていることは、僕も見習わないとなあ。

 

多分僕は善人ぶっていないとは思うんですけどね。

 

また紹介したい記事、人がいたので、すぐ記事書きます〜

 

ちなみに、2/23は僕の大学受験が終わった1日目らしいです。

 

社学受け終わって、ひと段落して大隈重信が祀られている?護国寺に訪れていたようです。

 

運命か、護国寺ではないけどそこの付近まで出かけていました。

 

あれから4年経ったのかな?

 

長かったね。

 

前回と同じノリで紹介します。

 

これは自分が大学院考えた時に読みました。

 

自分と重ねて色々書いてみたいと思います。

 

ダサいことも書きますがご容赦ください。

 

 

 

この人の思想は僕にかなり近いと思います。(少なくとも1年前の自分)

 

いくつか抜粋します。(太字が抜粋)

 

自分の中で勝手に「大学に入って遊び惚ける人」よりも自分は優れている、みたいな格付けをしていたのかもしれません。  

 

これはマジである。自分も大学で勉強することは当たり前だと思いますし、それは今でも思っている。

 

ただ、大学、特に今の日本において学問だけを求める必要はないわけです。

 

以前書いたように、どんなことでもそれなり以上に熱中することの素晴らしさはどの分野でも変わりません。

 

むしろいわゆる最初僕が否定的だったバイトばっかりやる人間の方が、社会性が身について社会人として生きる時には役立つ家事もしれません。もちろんそこで経験した苦労や達成感などは得られますし。

 

結局僕にとって物理学は受験勉強のストレスを発散するための捌け口に過ぎなかったんじゃないか、と思ったのです。それはおそらく本当にそうなんだと思います。

 

これは僕にとっては就活などのストレスを発散するための捌け口に経営学を使っていたといえます。

ただ、この人と同じように経営学に圧倒的な情熱はもっていなかったのかもしれません。もしそうなら、なにがあっても今年はとりあえず受験していたと思うので。

しかし、この人と全く同じような熱量しかもっていなかったのか?と言われると、そうではないと自分では思っています。

 

院に進学する人間(真剣に受験して落ちた人含む)>>>>僕>>このブログの筆者

だと思っています。

それは自分でもわかりません。

 

僕が普段の生活で最も充実している瞬間は、何かの修練度を上げていくときです。お絵描きなら、はじめは下手くそな絵が、練習をして如実にうまくなっていることがわかるフェーズです。しかし、ある程度うまくなると、だんだん成長率に陰りが出てきます。そういうときは、別の未知のことをまた開拓します。

 

これは割と真理な気がする。

特に自分は当てはまります。

テストだってそうで、40点から80点まで上げるのはそんな難しくないんですよ。

ただ100に持ってくのに、40→80点までの努力以上の労力が必要になると思うんです。

 

そこの差は非常に大きいと思います。

これをやり切れる人間は仕事でもなんでもうまくいくんじゃないでしょうか。

 

だから、この人の書いたように、成長に陰りが見えると辞めたくなるのが本能だと思います。

それは悪いというよりむしろ当然に近い。

 

逆にこれに当てはまらないあなたは素晴らしいと僕は思います。尊敬します。

皆さんはどうですか?

 

正直なところ、人類の役に立ちたいと思ったことは人生で、ただの一度もありません。

 

うーんこれはどうでしょうか。

 

正直大学の後半から、この思考は変わったように思います。

 

自分は聖人君子ではないので他者のためだけにやることは好まないかもしれません。

 

ただ、自分の願いを解決する際に、「こういうことで困ってる人がいるな」と思ったら、同時にそれもやってしまいたい。

 

あとは、純粋に自分関係なくても、世界に変わって欲しいところがいくつかあります。それに関しては、自分は努力を惜しまないと思っています。

 

 しかし、世の中には一つの恐ろしい理論があります。
「ダメなやつは何をやってもダメ」理論です。

 この理論で行くと、研究ができない自分は就職しても結局技術を身に着けたり、人に誇れるような仕事はできない、ということになります。

特に、「研究」という抽象度が厄介で、研究ってすべての知的労働の根幹という感じがするので、「研究ができないやつは、どんな知的労働をしたってダメ」というのは激しい説得力を持って襲い掛かってきます。
 でも、だから小さい会社に行くのはやめといて、無理して院に行くというのは、「自分は何をやってもダメなので、頑張って修士号という肩書をもらって実力もないのに大企業に入ります」と言っているみたいでダサすぎないですか?

 あるいは、研究ができないからって就職するの、結局大学2年の時に物理の勉強をしてないから工学部にいったのとおんなじじゃん。どうせまたすぐつらいつらいって言って逃げ出すんじゃないの? という問いが、自然に発生します。どうなんでしょうか。わかりません。

 

これが最も、刺さった箇所です。

長いですが、できたら読んでください

 

この話はずっと自分の頭から離れない。

 

例えば、浪人する、院進すると考えたあと、それを辞めるとします。

 

冷静に考えたら、その選択肢が正しくなかったとしても、少なからず自分の意志と達成する力に問題があると考えてしまいます。

 

研究ではなく、自分の信念というもっと大きなレベルでの話で考えると、「自分の目指したことを達成できない人間は、社会に出て働いても成功しない」ということを考えていました。

 

例えば浪人の時、早稲田でやることがあったのではなく、早稲田合格という目標を達成するのが目的でした。

 

ただ目標を達成するために、リスク背負って1年をかけるのか?と考えた結果が今です。

 

結局自分が1年間モチベーションが続かないんだろうということから、現役を選びました。

 

だから同時に、このブログの筆者のように研究ができないから就職するのと同じ思考に陥ります。

「あのとき目標達成を諦めたし、次にそういうことがあっても同じことするんでしょ?」と。

 

一つこの議論に介入するとしたら、そもそも浪人や院進という決断自体が適切でないケース。

もしそうなら、多少の救い?になるかもしれないけど、それで言い訳はしたくない。

 

僕は、適材適所という言葉の方を信じることにします。

 

このように筆者は締めていますが、僕はむしろ、「今の自分の選択の方が正しかった」と信じています。

 

また、そう思えるような生活を送りたいと思っています。

 

抜粋含め、2600字を超える冗長な文章になってしまいました。

 

読み流してくれたあなた、ちゃんと読んでくれた変わり者のあなた、締めだけみにきたあなた。

読んでくれて感謝しています。

 

読んでくれる人がいるから、僕はこのブログを続けていられます。

 

(注、本ブログで書いた僕の考えは、現在の思考と過去そう思っていた思考が混同している可能性があります。できる限り過去にのみ持っていた思考は明記しているとは思いますが、過去形にするだけだったりわかりづらい表記もあると思います。

そこはご容赦ください。)

 

僕が心を打たれた方を紹介していきます。

 

 

 
この方のブログを見ると、同情という安っぽい感想ではなく、心から自分が恵まれた立場にいて、日々の悩みがいかにちっぽけなものか感じます。
 
自分はまだまだガキだなと思わざるを得ません。そしていかに温室で育ってきたかわかります。
 
要約すると、毒親のせいで大学に通えなくなったり、死にそうにながらも勉強を続け、いまや東大の修士号を修了した人です。
 
こんな言葉では表現できないほど、壮絶な人生を歩まれているので、是非読んでみてください。

 

ちなみに、この方の親が最近あるメールを送ってきたそうなんですが、それをTwitterに晒していたので、要約してお伝えします。

 

「卒業することが、親やおじいちゃんが喜ぶと思っているの?

今までの借りっぱなしの人生を挽回できると思ってる?

私(母)はあなたが修士号という肩書きよりも、普通に生きてあなたがみなから愛され、信頼される人間になって欲しいと思っています。」

 

こんなことを送ってくる親、寒気がする。

 

彼は修士号をほぼ完全に自力で修めたというのに。そのまま就職も決まったのに、なぜそんなことが言えてしまうのか。

 

むしろ彼は少なくとも日本で見れば、他の学生よりも親の力を借りずに生きていたと思う。

 

なにより、(自分では分からないだろうが)、あまりに子供への対応が酷すぎるよ。。。

 

そもそも、この方のご両親は新興宗教ずっぷりなようで、「頭のいい大学にいくことはけしからん」という教えを受けているらしいです。

 

うーん、この人も言っていましたが、日本は一度レールから外れた人間に冷たすぎると。

 

自分はこういう経験したことがないですが、卒業してすぐじゃないと新卒扱いじゃないとか一昔前はありましたね。

 

簡単な例ではこういうものがありますが、そういうマイノリティをどうやって救っていくんだろうってすごい難しい問題だと思うんだ。

 

日本でさえ、こんなに課題が多くてそれを解決しないといけないけど、優先されるのは大きな人たちだし。

 

ならば、少なくともマイノリティに厳しくない環境だけは整備しとかないといけないよな。。。

 

どこのどういう人たちを自分は将来助けることができるだろうか。。。