最近、手は動かせないけど、思考は動かせるという時間が多いせいか、考えが深まっている広まっていると自惚れています。
それがほんとかはわからないけど、自分の考えを文字にするだけでなくて、それを血肉とする必要がある。
というわけで、面白くないだろうけど、つらつら書いていく僕の思考にお付き合いください。
最近、組織についての本を読むことが多いんだけど、いったい僕や大半の人間が勤めている組織っていったいなんなのだろうかと悲しくなります。
またまたピーターティールの引用を。
機能不全が極まった組織では、実際に仕事を片づけるよりも鋭意努力中だとアピールする方が昇進しやすい(もし君の会社がそうならば、今すぐ辞めた方がいい)
これって少なからず日本の組織で起こっていることなのでは。(海外もそうかもしれないし、実は日本でもこんなことは起こっていないかもしれない。)
人間は大半が怠け者である。僕もそうだと思う。
ではその人間には何が有効であるか。そう考えてルールが生み出されたんだろうか。(ほんとは人の命に対する尊重から生まれたのだろうが)
つまり、優秀な人間には必要ないが、そうでない人間にはルールで縛ることが必要なのだ。
しかし、ルールで縛ることが最善の策ではなく、自立した姿が求められる気がする。
好きは得意に勝るというやつ。
これまた組織の話で、組織って意思決定のスピードが異常に遅くないですか?
大企業だからとかのレベルではなく、根本的な保守思想が全体に蔓延ってる気がする。
人の成長じゃないんだから、ビジネスに「やらない後悔よりやる後悔」なんて言わないけど、やるべきものをやらない後悔が多すぎるというか。
実行しなくとも、実行手前の提案まではいきたいものです。
声を上げるってすごく大事で、人間的要素だと思う。
そんな簡単じゃないからこそ、大事なんだ。
でもそれができない人っている。僕もそう。
なんでできないのかと言われたら、年齢のせいで立場が弱いとか、経験がないとか。もしくは嫌われたくないからなのかもしれない。
でも、そんなの全部嘘で、結局声を出せない人間は能力がないんだ。
年齢なんて、経験なんて関係なく、言い訳をしてあと伸ばしにしているだけだ。と思う。
今度は人間的な成長も関係するので、弱い立場ながら発言してみるのはメリットになると思う。
それに関係して、不必要だと思うルールを守らなくてはいけない時、「わかりました。ちなみになんでそのルールを守った方がいいんですか?」と聞くといい気がする。
嫌われそうだけど、必要なものは明確な理由があるはずだ。
なんで人を殺しちゃいけないのか、なんで中学生に制服が必要なのか(社会の目の監視という意味である種必要だと思う。しかし、サラリーマンがスーツを着る理由はいまだにわからない。そして誰も教えてくれない。)
これらには、ある種説得性のある答えが導かれるように感じる。もちろん、これらの問いに議論が起こることも悪いことじゃない。
しかし例えば、女子中学生が下着を白に統一しなくてはならないとか、ビールは注ぐ時にこうするだとか、クソみたいなルールもごまんとある。
そしてそれは偏っていて、時代錯誤な理由で説明される。
ここに必要なルールとそうでないルールのボーダーができるように思われる。
それには、自分たちがある程度権力をつけてから、、、とかじゃなく、早いうちに声を上げるべきである。
そういうふうにして、起業家や活動家は生まれたのだろうし、それを芸術に現した人間もいる。
なにより怖いのは、この変革をもたらそうとするエネルギーが権力をつける最中消えてしまうことだ。
クラピカも言ってたね、最も怖いのはこの怒りが風化してしまうことだと。
ずっとラクをできる環境はないし、そうなるべきでもない。
それでも、いい方向に向かっていくように、自分自身の居場所や立場を変えることだって必要じゃないんだろうか。
個人的な話をすると、最後のテーマでは、「声をあげれないのは年齢のせいじゃなく、無能さのせいだ」と思ったことからだ。
それを思い立ったのは、悲しいかな自分の身近で起こっていたからだ。
なんで当たり前のことが1年近く継続されていたのか、不思議でしょうがない。僕の倍生きている人だってたくさんいるのに。
そしてそれをおかしいと思わない(思っているだけ)なのはもったいない。
僕が軽く提案したら、すんなり状況は変わった。
それは僕が優秀だからではなく、単純に仕事の経験が少なくて、疑問をもてたからかもしれないね。
なんとなく従っておくみたいな、思考が止まった時間はなるべく減らしたい。
なにを貢献したわけでもないけど、そういう地道な経験が、成功体験となるんだろうか。
これが成功体験と呼べるかも怪しいレベルである。
最後に、本っておもれえな。
読むのが止まらないよ。本は知識と活力と指針を与えてくれる。
読書だけで人は変われないけど、変わるもとのタネにはなると思う。
そう信じて、努力して頑張っている。(自己成長を)