こんにちは。
「食わず嫌いしないで、機会を与えられたらやってみよう」
というのを日々意識しています。
これを受容という言葉で表現してみようと思います。
対して、能動という言葉がありますよね。
最近気づいたのが、この受容と能動というのはかなり隔たりがあるということです。
この差の大きさは僕の予想以上でした。
例えば、僕はよく美術館に誘われることが多く、旅先でもだいたい一箇所は訪れていると思います。
ただ、そこまですっごいっていう作品を感じたことがなく、悶々としていました。
元々美術は苦手で、犬の絵も描けないし。
でも、世界史好きが転じて、博物館や歴史的なものは好きでした。
なので、絵画よりも昔の壺やらアクセサリーやらが好きです。
そんな僕は最近美術館に足繁く通うようになり、見方が変わったと感じています。
見たものだけでなく、その背景を考えようとするようになりました。
背景が赤茶色のようなものが多いけど、メジャーだったのかなとか。
古代だからそもそもキャンバスもなく、背景がだいぶ凹凸があるなとか。
どこまで深く感じることができたかは、生まれつきや経験によって変わると思いますが、
少なくとも見えているもの以上のことを感じようと”した”ことが結構大きいなと思っています。
そうすると、一気に観察、鑑賞するのが楽しくなり、また時間がかかるようになりました。
これって程度の差はあれみんなが日常でやっており、重要なスキルの一つでもあるんじゃないだろうか。
結論として、美術というジャンルではありながらも、
なんとなく作品を見ていた時と、作品の周辺背景を含めて観察しようとしたのは結構違うことだなと感じました。
他のことでも応用できたら良いよね。
P.S.
これって能動と受動の違いじゃんと読み返して思ったんですが、
能動にプラス1段階乗ってるなあとか思ったり。
ようは
受動「美術館に誘われたから行くか〜」
能動「美術館に行きたいから行くか〜」
であって、行ってからの行動は変わっていないと思われる。
今回変わったのは、〇〇を見たい!という意志の差ではなく、その背景までしっかり考えようとしたわけです。
絵をちゃんと観察しようとかだけでなく。
上記で使った言葉が適切かは不明ですが、少なくとも能動受動の言葉とはちょっと違うな?
と思いました。
ちなみにちゃんと観察する前ですら良いなと感じた作品は
草間彌生作の何かの絵(広島かどっかで見た気がする)
モネの睡蓮
ですね。
特にモネの睡蓮は圧倒された記憶があります。
他にも有名な絵はいくつか見てきましたが、個人的には睡蓮がベスト
またどこかで見れたらなあ。