後朱雀天皇の第一皇子である親仁(ちかひと)親王が、四歳で
皇太子になり、天皇の病気のため二十一歳で皇位につきました
(後冷泉天皇)。当時千五十二年(永承七)に末法に入ると信じ
られていて、疫病や災害、不幸な事件などはみな末法の世の
現れとされました。京では、高陽院・京極殿・一条院・東寺・法成
寺に火災が起こり。御所でも大極殿におよぶ火災がありました。
また、千五十一年(永承六)には陸奥(むつ)で「前九年の役」が
起こりやはり末法の世かと人々を不安に陥れました。
「前九年の役」は源頼義・義家親子が奥羽(おうう)の豪族・安倍
頼時とその子貞任(さだとう)、宗任(むねとう)らを討伐した十二年
にわたる戦でありますが、「後三年の役」と共に源氏が東国に
勢力を築く契機となりました。
後冷泉天皇は宇治殿(藤原頼通)にすべてを任せたまま千六十八
年(治暦四)、四十四歳で崩御しました。後冷泉天皇に皇子が
いなかったため異母弟の尊仁(たかひと)親王が皇位につくこと
になりました(次の後三条天皇)。