第六十二代村上(むらかみ)天皇! | 皇后八幡神社のブログ

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朱雀天皇から皇位を譲られた成明(なりあきら)親王が即位しまし

 

た(村上天皇)。即位三年後関白・藤原忠平が没しましたが、天皇は

 

その後、関白も太政大臣も置かず親政に努めました。

 

国司や官人の勤務評定を厳正にし税収の安定をはかりつつ、倹約

 

と諸芸が推奨された治世は、後に醍醐天皇の治世と共に「延喜・

 

天暦(えんぎ・てんりゃく)の聖代」と言われました。

 

左右大臣の藤原実頼・師輔(もろすけ)兄弟は村上天皇に取り入り

 

権勢を確保しました。特に師輔は娘・安子との間に産まれた第二

 

皇子憲平(のりひら)親王(次の冷泉天皇)が皇太子となったため

 

安子が皇后になると、兄・実頼の権勢をしのぎました。

 

師輔はほどなく没したが、その子孫が摂関政治の主流を占めました。

 

村上天皇は後宮に、女御、更衣を九人いれ、後の冷泉天皇・円融

 

天皇など男女十九人をもうけました。その中の一人具平(ともひら)

 

親王の末裔は村上源氏として、のちの宮廷政治に大きな影響を与

 

えました。

 

天皇はまた、文芸に秀で、「御撰和歌集」を勅撰したり、琴・琵琶

 

などの楽器にも精通し、平安文化を開花させました。