忠孝の精神が根付く文化
郷土には長く続いた文化や気質が根付いています。
我が郷土、福岡県の旧前藩には「忠孝」の精神が根付いています。
一般的な言葉の意味は、忠は君主をさし、孝は親孝行を指します。
つまり、君主に支える家臣の裏表のない信頼関係がうまく行っている状態をさします。
今流に言えば君主は、郷土の首長であり家臣は市民です。
また、企業で言えば社長と社員の信頼関係が高く、素晴らしいチームワークが発揮されて、高い生産性と広い社会性を円滑に進捗させている理想的な状態です。
その起源は、君主である後醍醐天皇
を支えた家臣の楠正成の関係を美しく表現しています。
日本の忠孝の美談として伝わる忠臣蔵は有名ですね。
しかし、この郷土には800年を超える史跡がありそこには、忠孝の精神が受け継がれたものが残されています。
花尾山の山頂に残された花尾城趾です。
ここは、鎌倉幕府の命を受け1194年に築城され、秀吉による廃城命令の出た1594年まで、なんと400年に渡り受け継がれた忠孝の見本のような歴史を残しました。
徳川幕府でも300年の歴史です。
それを1世紀も上回る継承は、見事に「忠孝の精神」が活かされた証のようなものです。
古来、歴史や文化を忘れた民族は滅びると言われますが、この気質や文化は密かに我が郷土の気質として継承されているのです。
我が郷土の、誇りである企業の筆頭はなんと言っても、安川電機グループが挙げられます。
この忠孝の精神を明治から今日にかけて、復興した文化が、花尾城趾なのですが、この立役者は木村孔爾翁ですが、それをさせたのが頭山満翁と安川敬一郎翁(安川電機グループ創始者)です。
その、文化の発端は、敬一郎翁が筑豊炭田御三家の一角を成した、明治鉱業を創業し、息子の松本健次郎翁と共に継承した安川大五郎翁です。
彼は、隆盛を誇った炭鉱主でありましたが、当時の炭鉱での労働環境や、しきたりは大変なもので、全国の炭鉱主は収益とは反して、苦労の連続でした。
しかし、家臣以下大切にすべき社員の労働環境について、労働組合員の立場を第一優先にした大改革を断行し、揺るぎない信頼関係を培まいした。
何事もそうですが、10割の力を、20にも100にもパワーアップさせる魔法があるとすれば、このチームワークの力です。
爾来、安川グループの創業と発展の源である「忠孝」の精神を企業文化の基とし今日まで盤石の基盤を築き上げたのです。
まさに、郷土の文化と、企業の文化とが見事に重なり合い、風土になじみながら日本の産業界をリードするまでになったのです。
我が郷土の「忠孝」の文化は、他にも目で見て肌で確認できるものが多く残されています。
歴史と文化の継承、そこに忠孝の精神を忘れずに郷土の安心と安全を繋いでまいりましょう!






