
源流はどこに
自分探しの旅に・・
とかのフレーズをよく耳にしますが、自分の正体や、本当に興味があるあること、
自分の適性や、最終目的などが分かっているのなら何も苦労はしないと思うのですが、自分のことって本当に解りにくいですよね。
まして自分ではない、歴史に興味を持って、
「なぜ、ここにこんなものがあるのか?」
「これを作った人の動機は?」
「なぜ、そんな時代に必要があったのか?」
など、思いつくほどに疑問が膨らむ。
そして、ひとつひとつ探れば探るほど、解った!と思ったら次の疑問が湧いてくる。
別に、人に説明する必要がない部分であればそこで止まっても問題はない。
が、人にも説明がいる部分になると、気になってしょうがない。
私の疑問の始まりは、この「忠孝の碑」ですが、すでに20年ほどになるけれども終わりが全く見えない。
昔、世界的にヒットした「ルーツ」と言う映画を追いかけているように、過去の歴史を一とつ一つ紐解いても、時系列が断片的で、あっちに行ったりこっちに行ったり。
このルーツも、主人公のドラマを時系列に探し出したのも、一大プロジェクトのように見える。
研究者で、世界中の歴史や文化をよくよく知り尽くしている人の話を聞くと、本当に関心し、尊敬する。
しかし、なんでもそうだけど、入り口は一つでも、途中で二つも三つも探す選択肢が増えるので優先順位も、重要度も、信憑性も全く当てにならない。
中学の時に恩師から「十八史略」と言う本を紹介して頂いた。
なんでも、この中には4,000人余りの登場人物が出てくると言うものです。
ストーリーが長ければ長いほどその疑問や矛盾は増えるばかり、
当時は興味も浮かばなかったので読んでても、全く歯が立ちませんでした。
しかし、不思議な事もあるもので、大人になってある日。
著者の伊藤肇先生の妹さんに全く偶然に出会えて、愛読者だったというと、先生のサイン入りのご著書を頂いた事には本当に感動したものです。
まあ、自分探しでは有ませんが、公園愛護会活動の一環で、「忠孝の碑」の疑問「そこに何があるのか?」の旅は果てしなく続いてしまいます。
空き時間に、調べるものが多くて優先順位がわからなくなる日々ですが、、
明日から真面目に働きます。

