日々、
衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく
その ご案内と準備をしています。
「横あるき」のFUKUです。
ここは広島県東広島市、JR西条駅から車で30分ほど北東に位置する
山間の山城跡。
頭崎(かしらざき)城の山です。
かなり荒れています。
本殿の説明看板の影が強くよみにくいので、
かしらざきじんじゃほんでん
頭崎神社本殿
頭崎神社は、大永(たいえい)3 (1523)年に平賀興貞が頭崎山に頭崎城を築いた際に勧請(かんじょう)したと伝えられる神社で、平賀氏系譜の大永5年に「大明神」の名称が見えます。
平成28年(2016) 4月28日指定
きだん現在の本殿は、安永あんえい2 (1773)年に造られた石造一間社入母屋造平入(せきぞういっけんしゃいりもやづくりひらいり)のものです。基壇から屋根の棟部分までの高さが 202cmあり、石造本殿としては極めて大きいものです。壁面は花崗岩(かこうがん)の一枚板を組合せたもので、正面に観音開きの花崗岩製の扉を釣っています。扉の両端の上下には円柱状の軸が彫り出されており、屋根と基壇に彫り込まれた軸受のほぞ穴により挟み込まれています。日輪と月輪に(太陽と月)が陽刻された扉の正面右側の下部には施錠のための鍵穴が開けられ、 内部に猿落としが取り付けられています。屋根部は棟を除いて1枚の花崗岩を削り出して加工し、正面に唐破風を設けています。唐破風中央上部の鬼板には打出の小槌が陽刻されています。
壁面に陰刻で次のとおり銘が刻まれています。
右側板「安永二年 癸巳 六月吉日 奉奇(寄)進惣氏子中」
左側板「神主 三善播磨守 庄屋東邑 高橋藤左衛門」
裏板「藤原氏石工 忠四良重光忠三良重久」
忠四良(郎)重光·忠三良(郎) 重久は備後尾道の石工で、寛延4(1751)年~安永7 (1778)年までの10点の石造物が確認されています。この本殿は、後世の改変がなく、尾道石工製作の石造本殿としては最古・最大の作例として極めて貴重な文化財です。
東広島市教育委員会
山道中に、道を阻んでいた木は枝が細かったし
軽いのだけれど、弾性があって、
箒状に広がって、引きずると道に引っ掛かり、折れもしない、、
となかなかの
時間を要して、やっと二人で道からよけたのでした。
わたしが、
「通常携えていたテノコを今日はザックをかえてきて
忘れた」と話すと
「あ。車においてあったのに」と。
車から降りるときに私が問いかけていたらな。
と反省。
山頂部から頭崎神社の入口にもどって、
その西脇をすすむと、
明治神宮がある。
磐座があり、荘厳
お社自体が磐でその上に木が生きている。
ここで約半分の距離。下りと、周辺の史跡に続きます。











































