日々、

衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく

その ご案内と準備をしています。

 

「横あるき」のFUKUです。

 

ここは広島県東広島市、JR西条駅から車で30分ほど北東に位置する

山間の山城跡。

頭崎(かしらざき)城の山です。

 

 
登山道入口は数か所ありますが、
やぶになりかかっているところもありました。
 

 
畑と民家のあぜ道を沿っての山際にひっそり入口があったりします。
 

 
獣除けのフェンスと扉。
こういった柵があるときは、慌てず扉をさがします。
真正面にあれば、回すと開く仕組みになっているはずです。
または、杭が抜けられるようになっています。
鍵があったら、入れませんが。。。
 
ここで、忘れると困るのは、入ったら元通りに閉じる。ということ。
獣が出入りフリーになってしまうのを防いでいる、
門と土地の持ち主のことを思って。
 
山にまだ不慣れな方は、
ちらと閉じた門を見、行き止まりかと別の
入口を探して迷い、上るのをあきらめたというのはよくあること。
 

 
この冬、広島では雪の回数と積雪が多めでした。
この時も3.4日前に雪が降り、それがおおよそ融けたはいいのですが、
倒木と抉れが山道にあって、進むのに一苦労するシーンが何度かありました。
 

 
結構、太い幹、枝がおちているんですよね。
木が高くなって弱り、枯れて、雪と風で倒れるのです。
 


かなり荒れています。
雪が竹葉に積もって倒れた模様。
 

 
 

 
山の上部には石の鳥居、お社、祠、手水鉢など、なかなかに急峻な道をこえた
場所、城郭に、
立派なものが鎮座していました。
 

 
 

 
山頂は約500m。
登れば、広く眺めも取れて心地よい場所です。
 

本殿の説明看板の影が強くよみにくいので、

写しました。
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東広島市重要文化財

かしらざきじんじゃほんでん
頭崎神社本殿

頭崎神社は、大永(たいえい)3 (1523)年に平賀興貞が頭崎山に頭崎城を築いた際に勧請(かんじょう)したと伝えられる神社で、平賀氏系譜の大永5年に「大明神」の名称が見えます。

平成28年(2016) 4月28日指定

きだん現在の本殿は、安永あんえい2 (1773)年に造られた石造一間社入母屋造平入(せきぞういっけんしゃいりもやづくりひらいり)のものです。基壇から屋根の棟部分までの高さが 202cmあり、石造本殿としては極めて大きいものです。壁面は花崗岩(かこうがん)の一枚板を組合せたもので、正面に観音開きの花崗岩製の扉を釣っています。扉の両端の上下には円柱状の軸が彫り出されており、屋根と基壇に彫り込まれた軸受のほぞ穴により挟み込まれています。日輪と月輪に(太陽と月)が陽刻された扉の正面右側の下部には施錠のための鍵穴が開けられ、 内部に猿落としが取り付けられています。屋根部は棟を除いて1枚の花崗岩を削り出して加工し、正面に唐破風を設けています。唐破風中央上部の鬼板には打出の小槌が陽刻されています。

壁面に陰刻で次のとおり銘が刻まれています。

右側板「安永二年 癸巳 六月吉日 奉奇(寄)進惣氏子中」

左側板「神主 三善播磨守 庄屋東邑 高橋藤左衛門」

裏板「藤原氏石工 忠四良重光忠三良重久」

忠四良(郎)重光·忠三良(郎) 重久は備後尾道の石工で、寛延4(1751)年~安永7 (1778)年までの10点の石造物が確認されています。この本殿は、後世の改変がなく、尾道石工製作の石造本殿としては最古・最大の作例として極めて貴重な文化財です。

東広島市教育委員会
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神社の周囲に大きな枝が落ちており、
一緒に野外活動している友人と
それを除いていい運動に。
残雪と結氷が輝いていました。
 

 

山道中に、道を阻んでいた木は枝が細かったし

軽いのだけれど、弾性があって、

箒状に広がって、引きずると道に引っ掛かり、折れもしない、、

となかなかの

時間を要して、やっと二人で道からよけたのでした。

 

わたしが、

「通常携えていたテノコを今日はザックをかえてきて

忘れた」と話すと

「あ。車においてあったのに」と。

 

車から降りるときに私が問いかけていたらな。

と反省。

 

 

山頂部から頭崎神社の入口にもどって、

 

 

その西脇をすすむと、

明治神宮がある。

 

 

 

磐座があり、荘厳

お社自体が磐でその上に木が生きている。

 

ここで約半分の距離。下りと、周辺の史跡に続きます。

 

 

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ここは広島県東広島市高屋町貞重、JR西条駅から車で30分ほど北東に位置する

山間の山城跡。

頭崎(かしらざき)城の山です。

 

前回の続き

 

さて、

明治神宮を後に、少し進むと、幅の広い道に出て、駐車帯があります。

その場から分岐して尾根筋を東に進むと別の頂があります。

今回はその道の確認だけ。

 

車道は北から伸びています。鉄塔もあるので、整備用でもあるでしょう。

普通の道路よりは道幅が狭いです。東広島市戸山方面につながります。

 

 

山の歩道よりは見開きがありサクサクと歩み進め、

しばらく行けば、また谷に降りる道が西側にある、はず。

それを見落とさないことが大事。

 

 

雪がありますねえ。

分岐は、っと。

ありました。

看板は唐突にあり、見逃すことは

なさそうかな。

 

 

入ってすぐは道がわかるのですが、

次第にあやしくなります。

 

道が途切れるといいますか、、

多分茂みと、落木が緩い尾根をふさいでしまった感じ。

 

地図で起伏を確認しつつ、

麓付近の極楽寺・奥の院をさがしていると

青銅の屋根が見えて、

正解だとわかりました。

 

ここからはもう、道がはっきりしています。

 

夏は、葉が広がってしまいこの屋根もみえつらいのでは。

 

 

 

小さいとはいえ、立派なつくり。

 

 

 

 

お堂の周りまでは、畑などから近く

掃き清められてあります。

 

 

振り返ると穴のような出入口。

今回はスタートより若干標高の高い畑と民家エリアに出ましたが、

5分歩けばスタート地点に着きました。

 

この城跡の一族の墓地は

約2.5kmの離れた地にあり

たずねました。

 

車道沿いなのですが、

知らないと、行き過ぎてしまいます。

看板の横の生垣が、墓石をきれいにぐるっと囲っているのですよね。

 

 

 

最後はお墓からさらに南の

先ほどの頭崎城の南にある平らな丘の御園宇城跡。

 

 

 

ほぼ四角く平らな面が跡地で、周囲は竹が主。

 

看板の説明に、

鎌倉後期~

平賀氏は出羽国平鹿郡・

現在の秋田県横手市より

高屋保(現在の広島県東広島市高屋町南東部)の地頭職を得て、鎌倉時代後期頃に高屋保に本拠を移し、

高屋堀の御薗宇城を弘安年間(1278から87)に築城したと伝えられています。

 

詳細は東広島市の県史跡。参照

 

今回訪れた

御園宇城を最初の拠点とし、

 

次は白山城(JR山陽本線白市駅付近)

↑※また次に訪ねてみましょう。

 

そして、頭崎城と移るわけですが、

地点を結ぶとキレイめな三角形で

この土地は

今も田畑があり、日当たりの良い台地です。

作物の育つのにいい土地、

居心地のよい風景が連綿としています。

 

戦国の時代に

尼子氏、大内氏、そして毛利氏と

勢力が移る中で生き延びた一族の

長い歴史が垣間見れました。

 

 

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外周たしか、30km。その1/6

厳島神社よりそのまま、西への海岸沿いを進み往復してきました。

 

わたしは対岸で育ち、この折り返しの地点は

一番島の中で、海の幅が狭いのです。

 

↓の写真の箇所からは

まだ、離れているところですが。

 

見える対岸のホテルでは、学生時にアルバイト。

変わらずにあります。

 

 

引き潮の時は500mを切るのではないかと思うのですが、

その浜で釣りや磯遊びをしていました。

 

 

泳いだり、ボードに乗ったり、

歩いたりしながら、よい季節に宮島を一周してみたいものです。。

 

寒くとも、浜辺に降りて魚や貝、海鳥をみていると

夏を想ってワクワクしました。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

鹿の群れの日向ぼっこ。

  

 

 

一番西の折り返し地点のバス停。

 

 

大学の研究森林の中の木の名札。

 

 

一定の期間ごとで描き手が変わるので

注目しています。

 

 

 

帰りは町屋通り。

献灯の創作の文字に味。

たーくさんあります。

 

 

五重塔は保存修理工事中。26年12月までの予定。

1400年代から建つ。

 

大しゃもじを置いてある

etto(エット)宮島交流館(宮島まちづくり交流センター)

の展望所からの眺め。

 

この交流館は、

優れた公共建築物に贈る

第19回公共建築賞の地域特別賞を受賞。

 

そして、最後に

要害山に登って、誓真釣井(井戸)の前を通り

(ここはだいたい、毎度最初か最後に通る。気に入っている処)

桟橋前の高台と麓です。

 

この日は桟橋付近の鹿の数が多かったですね。

海外の団体の方々がパンデミック後に急増している感覚です。

 

おだやかな 小春日和でした。

 

何度、宮島に?と問われたら

 

まさか、この歳まで年に数え切れないということになるとは。

 

初めては、保育園時の遠足、それから

小中高も対岸だったので、遠足、短大でも。

そして、旅の仕事。

 

今は、個人のガイド、私的な下調べで

変わり続ける 宮島を訪ねるわけです。