日々、

衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく

そのご案内をしています。

 

広島ネイチャーナビfukuです。

(屋号:ネイチャーガイド&アートひょんのき)

 

はじめましての方  →プロフィール

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山、野、川、海辺、を案内しています。

ご縁を大切に、学び笑いある「横あるき」を実践中。  

※現在 

2015より264回実施継続中。

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今回の横あるきリクエストは、

広島県大竹市「亀居城跡公園」と「周辺史跡」

 

亀居城跡は、江戸時代の城跡で重要な史跡公園です。

サクラの季節は、本当に広島最西の穴場!

これまで、幾度か案内してきましたが

今回はより深く。

 

過去記事↓

桜の頃→2022-4-6亀居城址の桜と城壁

梅と風景→瀬戸内海の春霞_2025-3-21 大竹市亀居城跡

 

お城の周囲と外郭の史跡も訪ねてみます。

 

 

 

前回、1月末に訪ね歩いた、福山市の鞆城跡も福島正則の築城ですね。

 

しかし、、5年かけて築いたお城を3年で廃城とされてしまう。。。というのは

当時、それを見届けた人々はどんな思いだったのでしょう。

 

この史跡の位置ですが、

東に瀬戸内海沿岸のしまなみ景色、平地が幅狭く、

西には山がせり立って、要害に適しています。

 

現在、高速道路(広島岩国道路)、JR山陽本線、国道がその狭い幅にならんでいます。

近年、新たに開館した下瀬美術館

お城跡~東の海ぎわの埋め立て地に位置します。

 

JR山陽本線の最寄り駅は、「玖波駅 くばえき」

 広島駅から山口岩国方面行にて約50分です。

 

玖波駅前から、こいこいバスに乗換。

乗車7分「黒川会館」バス停🚏

こちらからスタートです。

 

南の城跡の麓隣、和田家長屋門前へ

慶応3年に建てられた貴重な建物文化財。

 

 

 

江戸時代の郡村行政は世襲制が多く、割庄屋・庄屋・与頭(くみがしら)などによる村役人により行われており世襲を江戸時代を通じて約270年間守り通すのは容易でなくわずかであり、それを通したのが小方の和田屋、ということです。

 

氅の碑

けごろものひ 

 

 

松尾芭蕉の150回忌(1843年)に市の小方地区の人々によって建てられました。

刻まれているのは、芭蕉が亡くなる前年に詠んだ「晩年のお気に入りの句」

「者世越」とは「はせお」と読み、芭蕉の俳号です。

 

芭蕉の優秀な弟子、志田野坡(しだ やば)が何度もこの地を訪れて俳句を教えたことから、大竹では俳句文化が非常に盛んになりました。幕末には「氅社(しょうしゃ)」という俳句会も結成されました。

 

この碑は文字の彫りが非常に見事。同じ時期に近くの寺院で素晴らしい石仏を彫った地元の名工・松五郎の手によるものだと推測されています。

   
  者世越   氅に つつみてぬくし 鴨の足
    天保十四卯年  為百五十回忌 

 

 

碑の後ろは崖になっていて、その上部に厳神社(いつきじんじゃ)があります。

 階段を登る途中に、社務所、そして、神社がみえてきます。

 

 

妙見丸で発見された石材

 

 
幕府によって廃城されたので、こちらに移った厳神社。
 
ここは妙見丸(標高約30m弱)という郭で、
厳神社の本殿西側あたりはJR線のトンネルになっています。
 

益豊神社、稲荷神社のその奥に、

 

 

嚴神社 いつきじんじゃ

 

 
裏手の林からつづく小径、
下り降りた交差点に、
「亀居城築城犠牲者慰霊碑」
 

 

更に下り、なみだ橋↓

 

 
 

 

JR山陽本線の上にかかる橋です。

撮り鉄さん、列車好きさん、によき場所かも?

橋の向こうは、厳神社社務所。

神社の入口、長い階段の途中に戻れます。

 

引き返して、平地に降り、

 

楓園咊田翁之碑を見学

最初に見学した和田家、の和田吉左衛門の俳号。

振り返ると亀居城本丸の郭がみえました。

 

 

 

20歳で割庄屋に就き、凶作に苦しむ村人を救う。長州戦役で主戦場となり、大きな被害を受ける。被災者救済のため、「新開(干拓地)」を完成させた。明治政府のもとで戸長に就任、地域改革を進めたなど、の功績を没後にたたえた碑です。
 

亀居城 無の丸跡などの見学

 

 

亀居城 本丸跡。

コンビナートがみえます。

大竹市出身の昭和を代表する作詞家

石本美由起氏の歌詞碑がこの城跡に多くあります。

 

 

亀居城跡 捨の丸と郭のあいだの階段を後にしました。

 

 
高速道路の沿いからお城跡を振り返り、
国道2号線にでて、後は駅まで一直線にゴールしました。
 

今回の記録です↓

 

 

休憩込み、4時間、約5.5KM
累計高度150m。の散策でした。

苔が路面に多く、湿度90%で滑りやすかったのですが、

ゆっくりと安定してすすめてよかったです。

梅の開花はわずかではありましたが、香りをたのしみました。

地図アプリにもなかなか見当たらない場所にも

訪ね、くつろいでいただきました。

 

ありがとうございました!

 

 

日々、

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今回の横あるきリクエストは、

福山市鞆町の港周辺。

 

午年にちなみ、この土地の文化節句の

「八朔の馬だし」展示開催中の、

鞆の浦歴史民俗資料館

 

 


も含めて

 

案内をというリクエストで

港を多方向から見つめる企画としました。

 

広島県の東に位置する福山市は

広島市中心部から公共交通機関は新幹線で約30分、高速バスで1時間50分程

福山駅から鞆行きのバスで30分です。

 

巡るスポットと順路をご参加の方とのご相談で

予めお決めいただきました。

 

広島県福山市鞆の浦(とものうら)は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、古くから「潮待ちの港」として栄えた場所です。

 

さて今回企画の歩き出発地点は、福山市鞆港バス停。

バス停からすぐのスロープ状の坂に詳しい地図。

三方向からみた現在地があるのはとても分かりよいです。

 

 

江戸時代からの町屋の景観を保った、街並みが美しく

細い路地に古い家々が立ち並び、タイムスリップしたような雰囲気を味わいながら。

 

歴史民俗資料館は鞆城跡でもあり、その城壁の一部と漁船を見ました。

 

資料館入ってすぐのロビーの特別展示「八朔の馬だし」は撮影可でした。

そのほかは撮影できません。

 

 

立派な白馬に子供の成長を願ったことがうかがえます。

 

↓以下は説明板の記より

八朔の馬出し

八朔 (旧暦の八月一日のこと の節句には、全国で様々な祝いの伝統行事があった。

鞆でも町家では、男児の誕生を祝って白い馬の模型 (子ともが乗れる馬から、大きなものでは実物大) を作り、台車 (馬の台) に乗せて町中を曳き廻す全国でも稀な風習 (江戸時代から戦後まで) があった。このような「八朔の馬」は、鞆の商人の総済力や文化程度をよく表している。

この様な馬を曳き廻す風習は鞆の他に福岡県北部の港町である芦屋町にもあるが、鞆のような実物大の馬はないとのことである。

 

2階建ての歴史資料館には、郷土の風習(弓の神事)、産業(鍛冶)などの展示、人物紹介があり、

じっくりと見学しました。瀬戸内海の潮の流れがちょうど変わる場所にあるため、昔の船乗りたちはここで潮の流れが変わるのを待つために滞在しました。潮の流れと仕組みを目でみてわかるような展示もあり、歴史深さとしては、万葉集の時代、 1000年以上前の和歌にも詠まれるほど、古くからの景勝地であることも紹介されています。

江戸時代の繁栄のようすも見て取れる展示がありました。 

北前船などの寄港地として、商業や物流の中心地となりました。

 

人物では、作曲、箏曲家名高い宮城道雄。1929年「春の海」で世界に知られ、父親の故郷であり、幼少時代に生活した鞆の浦を思い創作したと伝えられています。

 

鞆城からの湾港の眺め↓

 

他、歴史上の人物との関わり…

坂本龍馬と「いろは丸事件」

 龍馬が率いる海援隊の船が沈没した際、賠償交渉のために滞在しました。

足利義昭

室町幕府の最後の将軍が身を寄せた場所としても知られています。

 
 

↑常夜燈(じょやとう): 鞆の浦のシンボル。江戸時代に建てられた石造りの灯台です。

江戸時代の港湾施設がほぼ完全な形で残っています。日本で唯一と言われる貴重さです。
 

 

風もなく小春日和で大波止の先まで歩きました。

様々な角度から湾をみていく方向を眺めるのが出来る景勝地、

しまなみ瀬戸内ならでは。

ここまで歩いている人はなかなか居ないのかもしれません。

 

岬の高台も城跡です。

 

 

そっとある、芭蕉の句碑。

 

さて、お昼にうどんと一品料理のお店 みなと夢ごこちさん

に入って温まりました。うどん、蒸し牡蠣を美味しく頂きました。

牡蠣は今年貴重です。。。

 

 

特産品の保命酒(ほうめいしゅ)は

もち米、麹、焼酎を原料とした甘口の原酒に、高麗人参、桂皮(シナモン)等16種類の生薬を漬け込んだ伝統的な薬味酒です。現在4社あります。

​​​​​​

町並みあるきしていると↓保命酒に入る生薬を干しているところがありました。

香りがよいんですよね。

 

 

渡守神社付近に小路が山手にあり、そこから医王寺に向けてのぼります。

 

 

医王寺の山門と風景。四国も見渡せてきました。

 

 

映画『崖の上のポニョ』の構想が練られた場所でもあります。

梅の芳香漂って幸せ。

 

下りの道の分岐をちょっと横に入って行って、

潮風と眺望、食事喫茶を楽しめる茶房への、

 

 

セレーノさんで小休憩。

オーナー様の心温まる地理説明、歴史、景観保全活動の紹介の熱量が素敵です。

次のひな祭りイベントの紹介もありがとうございます。

確かに、すべてのスポットには訪ねていないので、再度企画を考えましょう。

 

ぜひ、ご興味のあるかたはお出向きくださいませ。

 

 

 

新たな施設にも終盤に立ち寄りました。持ち込みの食事もできるので、

寒い時にいいですね!

 

 

細かなスポットをめぐり、出発したバス停に戻れました。

瀬戸内としては寒い気温とはいえ穏やかな日で何よりでした。

 

 

今回も安全に歩き終え感謝します。

ありがとうございました!

 

日々、

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明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いいたします。


2026年 始めの横あるきは、

リクエストによる、

広島市東区 二葉の里歴史散歩道の

七福神巡りです。


今回は巡る順序をご参加の方に

予めお決めいただきました。

基本的には

東から西にむけて進めてみましょう。


出発は、JR 広島駅の北口から。

前日は最高気温3度。

平均0~1度で吹雪いていました。


当日朝も路面は湿って雪もあり、

マイナス2度でお客様の身体に堪えるため、

急遽、時間を遅らせて正午から歩き始めました。


幸い太陽がみえて、空も青く、

清々しいなかを進みました。


広島二葉山七福神めぐりマップ

上の案内図では基本右手からですね。


手水鉢と龍の彫刻


一番目は、西から二番目にある
國前寺:こくぜんじ。
日蓮宗の本堂と庫裏は、国の重要文化財。
本尊/釈迦如来

七福神巡り:二葉の里歴史散歩道

青色の七福神巡り幟旗が目印ですね。
背景の銀色は二葉山の平和塔。

二番目に、聖光寺:しょうこうじ。
7ヶ所中一番西側に位置。
かつて、万松山瑞川寺と称されていた。
現在、広島山。
本尊/十一面観世音菩薩

広島二葉山七福神巡り 笑顔の布袋様

↓赤穂義士大石父子供養墓

広島 二葉の里歴史散歩道 聖光寺

三番目は、尾長天満宮:おながてんまんぐう

二葉の里歴史散歩道 七福神巡り 壽老人像

学問の神様、道真が大宰府に下る途中に休息したと言い伝えがある。
受験シーズン、学生さんと思われる方々を見ました。そして牛神さまの像もあり、いろんな箇所を撫でられるようで、艶があります。広島駅方面は南に眺めることができる高台で階段は急峻で、手すりを利用していただきました。

そして、広島駅の北側のほぼ正面には、
広島東照宮:ひろしまとうしょうぐう、があります。徳川家康公を祀るため、三代将軍家光の建立。
最短距離で二葉山に続く道も付いていて山際の金光稲荷神社を経由してあります。

七福神巡り、広島二葉山の寺社仏閣

東照宮には、成人式を終えたばかりの若い方々が多くお参りしていました。
こちらでルートは半分過ぎ。

通りに出て、
二葉の里出身歌手、二葉あき子氏の
歌碑(夜のプラットホーム)がある側の
ベンチで温かい飲み物をとり、小休憩。

二葉あき子歌碑「夜のプラットホーム」

休んだ後、再び歩き
鶴羽根神社:つるはねじんじゃ、に着きました。
歴史は鎌倉時代の椎木八幡宮が前身と伝えられている。ご祭神/イザナギノミコト、イザナミノミコト、タラシナカツヒコノミコト、応仁天皇、神功皇后。

広島二葉の里七福神巡り 弁財天

手水舎は、被曝建物。

ほぼ並んだ位置の、
明星院:みょうじょういん。

入り口は細長いのですが、

大きな山門があり、くぐると、境内は広々としています。


毛利氏の妙寿院の菩提寺でしたが、後に藩に入った福島氏が伊予からの僧を住職とした時に今の寺名になりました。臨済宗から真言宗に改宗。歴代藩主の保護をうけて、浅野氏の4代藩主は始祖政長の位牌を安置。


本堂には赤穂四十七義士の木像安置。

高さ85センチの一刀堀。表情や体躯が

人柄までを表しているように見えました。

赤穂義士木像と七福神巡り


七福神巡りの二葉山とイチョウの木

他にも被曝樹の銀杏、広島市長伴資健:ばんすけゆきの頌徳碑、加藤種之助の墓碑もあります。

さて、
最後は、饒津神社:にぎつじんじゃ
先ほどに続き、
浅野藩主9代斉粛が、広島城からの鬼門(北東)の方向に位置する、明光院境内の西半分の地に始祖を祭神とした神社を造営。飢饉があった財政苦のなかであえてのこと、強い希望を皆で持ちたかったのでしょうか。

広島 二葉山 七福神巡り 恵比須天

被曝松の年輪の、被曝年の輪は他の年とちがってみえます。

二葉の里七福神巡り被爆松

神社の西に川が流れています、
昔は、広島城の外の掘りになっていた程の
場所に、今はぎっしりとある建物、其も
次々建て変わってゆきます。
広島駅の北側も、最近は、様変わりが早く思えます。

今は他の建物に囲われている様でも、ひと昔前、

神社前は遮るものが殆んどなかったのだと
想像します。

あっという間の4時間。
観るに、感じるには足らない位、興味深い歴史的な証が多々ある二葉の里。実は今回、散歩道の一部しか歩いていません。
 
広島駅から北西の不動院、東の矢賀一里塚跡まで全てを歩くと、なかなかのお時間になるでしょう。

また、続きをあるくことが、あれば紹介いたしましょう。

広島市東区の七福神巡り地図と高低図

スタンプも帳↓


広島市東区二葉の里歴史散歩道スタンプハイク



今年の始めの山辺の神社、仏閣、史跡歩きに相応しくよき日になりました。


寒い中、お歩き頂きありがとうございます♥

この季節に歩くことも、楽しめる元気を持ち続けられますように。