岸和田自然資料館の学芸員さんによると、
土生神社を囲む鎮守の森はいわばタイムカプセル。
この地域に人間がいなかった状態を保存しているそうです。
他の社寺林ではコンクリートの遊歩道の整備や
枯れた・倒れた木の撤去でコゲラなどの鳥が巣を作れず、
うまく幼木などが育たないことも多いようです。
ここでは今は地域にみられなくなった動植物が
綿々と世代交代を続けており、
さまざまな鳥の鳴き声に包まれ、
貴重なミミズバイの木が群生しています。
普通 陶芸は火の神様とか竈の神様でしょうが、
言葉の一音一音を整え、故事を織り込み、
行間に美を込める、
詩人の神様の方に心が寄ります。
印花のマトリョーシカ鉢 https://www.iichi.com/listing/item/1164279
実は菅原家はもともと埴輪を作っていた土師氏でした。
祭器・土師器づくりだけでなく、
古墳づくりや葬送儀礼など大陸の技術に通じた渡来系の人々。
古墳づくりが行われなくなったころに
各地の土師氏が居住地にちなみ、
菅原や大江、秋篠に改姓したようです。
藁灰釉のマトリョーシカ鉢 https://www.iichi.com/listing/item/1164287
興味が湧いて道真公の詩を調べてみました。
鳥の蓋つき灰皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164980
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
など左遷後に読んだ
梅の和歌が有名ですが、
鳥も繰り返し道真公の詩に登場します。
ミニチュア神亭壺 シュガーポット
https://www.iichi.com/listing/item/1164986
たまたま街頭に午後の閑を得て (偶得街頭午後閑)
二三里外 出でて山を尋ねたり (二三里外出尋山)
讃岐の国主だったころの歌の冒頭部です。
書類の山に辟易すると馬で山に入り、
詩情ある鳥の声や花の様子を愛でていたようです。
緑柳依依として白日斜めなり (緑柳依依白日斜)
人跡 銷滅す 満庭の沙 (人跡銷滅満庭沙)
只だ今し暮に宿る簷間の鳥 (只今暮宿簷間鳥)
冥感 終に白鹿の馴るること無かりき (冥感終無馴白鹿)
外聞 蒼鷹と喚ばるるを免れんことを幸(ねが)う (外聞幸免喚蒼鷹)
応に政(まつりごと)の拙きに縁りて声名は堕つべし (応縁政拙声名堕)
豈に敢えて功成りて善最に昇らめや (豈敢功成善最昇)
行春詩というとても長い漢詩の後半の一部です。
行春というのは国主が春に国内を巡察する
つとめのことで、
当時 讃岐守だった道真公も毎年行いました。
「白鹿」は中国・後漢の時代に
出世を極め善政を布いた鄭弘(ていこう)が地方の太守だったころ、
行春に二頭の白い鹿が車の両脇に付き従う霊験があったという故事から、
「蒼鷹」は司馬遷の史記より、
若く向上心旺盛なため分かりやすい税の徴収実績で功を上げて
出世しようとする酷吏をこう表しました。
政の拙さによって 冥外応じて 名声は堕ちるのでしょう
あにあえて功が成ってから 最善の道に昇らめよう
オリーブの葉っぱ柄 中皿 https://www.iichi.com/listing/item/1164290
白鹿を恃まず、蒼鷹のようと言われず、美の拙さに応じて、
真の道に至るることを願います。
※土生神社鎮守の森 器展は基本 隔年開催です。