腰ではなく、肩でもなく、指でもない、内臓ではない内的部分が攣っているときは、
荀彧と蒼井優の言葉を思い出す。
一から百まで詰め込みまくり、
精神的な部分がはち切れそうになるまで考えまくる。
そして、
それを全部忘れてしまう。
初めての手触り感、をそこに見出す。
すると、自由を掴めている気がする。
まあ、
煙草を六本くらい連続して吸えば、
同様の効果が得られるけど、
二十本入りの六本を一気に吸えるような身分ではない。
タランティーノ・ウィーク
タランティーノ(QT)を四本ほど続けて観ました。ユリイカの特集を読んだことによる、必然です。
「フロムダスク~」
「キル・ビル1」
「キル・ビル2」
「デス・フルーフinグラインドハウス」
フロムダスクは冒頭、
中盤の馬鹿げた切り返し、
終盤のバンバンバンに、
静かな高揚感と満足感を覚えます。
キル・ビル1、2では間延び演出に疲弊するも、
2の終盤に出てくる娘の登場で生き返ります。
デス・フルーフはムッチリ女優にうっとりしながら、
車巨根男が泣きつくシーンで最高に嬉しくなりました。
QTの印象は、好きなことを好きなようにやって大成した監督でした。
「レザボア~」から代表作を一通り観てきて、
この印象はより強くなりました。
そして、この「監督」は、絶対的な才能・技術を持っているわけではない、とも思います。
キル・ビル辺りからイングロリアスまでに見えてくる「宣伝手法」が、
QTのブランド力を底上げしていることは否定しませんが、
持ち上げるだけの「何か」はあります。
そしてそれは「才能」なんてしょっぱく、ショボイ言葉ではないと断言できます。
QTのキャラクター性かもしれませんが、それにしちゃうと身も蓋もないですから、
もう少しQTの作品を見ながら「何か」を掴みたく思います。
第七十七回喫煙報告
なんだろう。
分かっちゃいたけど、予告はされていたから分かっちゃいたけど。
この時間帯はまだまだ活動時間の中腹だから全然肉体は酷使されていないし。
「あぁー」
と、声が出てしまう感覚です。
「あぁー(笑)」
みたいな。
とりあえず寒いけど、
煙草吸ってから、
より長期戦の陣を敷こう。