1章は本田宗一郎の歴史。2章はその歴史の中で特に大きな出来事でもあった、マン島TTレース、二輪車から四輪車への参入、F1レース制覇、排ガス規制に取り組んだCVCCエンジンの開発について。そして3章は本田宗一郎流仕事術について。
本田宗一郎の生涯の中で、一番心に残っているが、関東大震災のときに本田は初めて車を運転したということ。本田が17歳のときで、アート商会という自動車修理工場で働いていた。そのとき地震が起こり、お客さまの車を安全な場所に避難させるよう指示をうけ運転。この大変なときに初めて車の運転を行い、歓喜を味わったというのは、まさに車の子と言えるかもしれない。
そしてもうひとつが、本田宗一郎 68歳のとき。社長職を辞したあと、自分で車を運転し全国700カ所にあるホンダの工場や販売店、営業所などへお礼の旅に出で、社員全員とあって握手したということ。
本田宗一郎がいかに社員を思って仕事をしてきたかがわかる一シーンである。
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目次
第1章 本田宗一郎の生涯
1.機械好きの少年が東京で自動車修理工に
2.独立、そして浜松を代表する経営者に
3.本田技研工業設立、世界のホンダへ飛躍する
4.引退、そして第二の人生へ
第2章 本田宗一郎の挑戦
1.苦境の中でマン島TTレース出場―あえて困難な道を進み危機を克服
2.時間との闘いだった四輪車への参入―官僚との対立を乗り越え夢をかなえる
3.失敗の末に勝ち取ったF1制覇―モータースポーツの最高峰に挑戦
4.世界を驚かせたCVCCエンジンの開発―世界最高水準の排気ガス規制に挑む
第3章 本田宗一郎の仕事術
1.チャレンジすることで道は開かれる
2.目標設定で妥協しない。つねに高いところを目指す
3.自分の頭で考える
4.スピードと執念でアイデアを形にする
5.よき経営者、よき上司になるために
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◇「俺は昔からよく言われる”石橋を叩いて渡る”という言葉は嫌いだ。石橋だということがわかれば叩かずに渡ってしまう。大丈夫だと思ったら時間をかけないよ。それよりもスピードを重んじる。だって人生なんて限られた期間なんだ。自分の欲求をどれだけ満たせるか、というのはスピードとの勝負さ。いいとなれば、ためらわずに私は渡る。壊れた橋は絶対に渡らない。」
◇人も企業も、「今日の仕事」で精一杯の時代だ。「明日」を考える余裕はなかなか持てないかもしれない。だが、ほんの少しでも「今日とは違う何か」を見つけて、実行に移す。その積み重ねが仕事を楽しくする。
◇「言葉や文章には嘘があっても、製品には嘘がない。メーカーにとっては、製品の一つ一つが、そのメーカーのすべてである」
◇自分の役に立たなければ、自分が良くならない。自分のために働くことは、相手やまわりの人のために何が出来るかを追求することである。「自分がやりたいこと」と「人の役に立つこと」の一致が大切だ。
◇重要なのは、データを集め、分析することではない。データをもとに考え、新しい何かを生み出すことだ。ここを勘違いすると、発想ができない。それどころか、データそのものも生きてこない。
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