ミシェル・コルボの宗教音楽が大好きです。
コルボは1934年生まれのスイスの指揮者。
30年近く前に、当時音大の学生だった友人がコルボにハマっていて
その影響で聴き始めました。
音楽に詳しい訳ではありませんが
コルボの音楽は、音一つ一つの比重が重く
精神の襞の奥に入り込んでくる感じです。
例えば、《モーツァルトのレクイエム》
私は始め、この曲をトン・コープマン指揮の演奏で聴いていました。
非常にきちっとした演奏です。
リズムは終始正確で安定しています。
音程は的(マト)のど真ん中を射抜くように狂いがありません。
優等生の《モーツァルトのレクイエム》って感じです。
レクイエム=《鎮魂歌》に相応しい演奏です。
コープマンの後、コルボの演奏を聴きます。
とても低く、とてもスローなテンポで
前奏は始まります。
とても同じ曲とは思えません。
裏拍というのでしょうか、
主旋律ではなく、追いかけてくる弦楽器に重きが置かれています。
低音がズシッ、ズシッと響き渡ります。
合唱は圧倒的な質量で始まります。
最初のソプラノは、細く揺らぎながら音楽に入って来ます。
それに触発されるかのように
合唱が大きな規模のまま揺らぎます。
静かな音は限りなく細くゆっくり、密度濃く
激しい音は振り幅がモーレツに大きい。
膨らんだり縮んだり、曲全体が揺れています。
Kyrie(キリエ・エレイソン/主よ憐れみたまえ)は
疾走する駿馬の群れのように
あとからあとから美しい旋律が疾走してきます。
続く合唱部は、竜巻を伴った嵐の様に始まります。
コルボの音楽は、心の奥の襞に染み込んで
精神を根底から揺さぶるようです。
その振り幅の激しさに、私は大きなうねりの中に投げ込まれて、音楽に翻弄されるんです。
ああ、気持ちいい。
でも、こんなに心を揺さぶられるのに
《鎮魂歌》として機能するのかしら?
この曲は、作曲の途中でモーツァルトが亡くなって、未完成な事は有名です。
モーツァルトはその手紙の中で
「(音楽の)構想は、鮮やかに心の中に姿を現し、頭の中で完成される。ーーいったん出来上がってしまうと、容易には忘れない。
周囲で何が起こっていても、噂話に興じながらでも(楽譜が)かける」
と書いているそうです。
モーツァルトが自分で作った音楽ではなく
神様から賜った音楽だったのですね。
私には、コルボによって
モーツァルトが神様から賜った《レクイエム》が、現代にその本来の姿を得たのだと
そう感じられます。
神様は、こんなに激しい《鎮魂歌》をどう終焉させようとしたのでしょう。
骨董水妖
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