軽くざくっと人生を振り返ってみる。
最初の10年。まぁ、12年。
私の家は、しつけというものにはかなり厳しかった。
というか、基本事項だけだったけれど、厳しかったと思う。
細かい内容は、書かないけれど。
子供心に、親が怖かった。
ま、次の10年。(大学を卒業するまで)は、
いろいろと・・・というか、勉強ばっかりしていた。
合間に箏ばっかりやっていた。どっちをやっていたかというと、箏かなぁ。
授業は全部出ていたから、それが勉強といえば勉強したことになる。
自宅などでの自主勉強は・・・そうねぇ。試験前の1日とか2日とかくらいかな。俗に言う「一夜漬け」あっはっは。
次の10年は、日本音楽集団という邦楽器オーケストラに所属して、いろいろ勉強した。特に現代曲を中心に。そこを27歳でやめて、かたっぱしから演奏できるところで演奏してみた。
あちこちで演奏した、そんな縁もあってか、30歳からの10年は、ARSOBS(アーソブズ)、I&M(アイアンドエム)と所属して、面倒をみていただいた。その結果、ブランド系での仕事、イベントでの演奏仕事が中心という今の自分の基礎部分は出来上がったと思う。
さぁ、これからの10年はどうしようか。
それを必死に考えていた2009年。それらを実行にうつすがため、ACTIONを起こす。そんな一年だったかな。2010年。
Actionにうつすということは、膨大なエネルギーの消費と大きな環境の変化を受け入れなければいけない。だからこそ、新たなる10年となるのであろう。
はい、ここでザックリ終わり。詳細は、死んだあとにでも、みんなで語ってくださいな。
話はかわって、昨日、練習日だったのだけれど、突発でレッスンを引き受けた。Kさんのレッスン。無事に「零雫」のイントロ14小節が仕上がった。楽器の絃が新しく、よく響く。幸せ。
好きな人(と思い込んでる場合が多い)とうまくやっていけるのか。
やっていきたいという希望と、現実。
まずは、自分をみつめてみませう。
自分の本当の心を。わかっている結果を引き伸ばしても意味がない。
それは、私もこの一年で経験してるから、間違いない。
あらためて、そんな人たちにアドバイス。
人と人はみな違うのね。
それをしっかりと理解したうえで、先に進もう。
違うからといって、ケンカするのが当たり前・・・ぶつかるのが当たり前、そう思っている人が多いのにはびっくりする。違うということと、ぶつかるということは別物ですよ。
ケンカするのが当たり前、それがいい二人なら、それはあり。でもね、片方でもケンカしたくなかったり、ぶつかったりしたくないのであれば、そういう現実が起きてしまう時点で、その二人は合いません。価値観が違うのだし。なんとかしたいという気持ちはよくわかるけれど、そのズレは、なんともなりません。拡大はすれど、縮小はしないの。
えっとね、話し合ってぶつかりがおさまるくらいなら、最初からぶつからなければいいのね。でもぶつかっちゃうのは、二人がずれているから。その原点、怒るという感情が生まれてしまったのなら、もうそこまで。
それが、いまの私GAYOの見切り+3スキル。
これも、人生10年単位で見事にかわってきたなぁ。
20代は、楽しくいられればいいと思っていたし、
30代は、話し合って解決すれば、それでやっていけると思ったし。
(解決しないと、やっていけないという現実も経験)
これからは、ぶつからない人がいい。どっちも自然体でいて、それで幸せになれる相手がみつかるといい。組曲「夢幻」のような、一つの理想かな。
これから残りの人生は、その理想を追い求めていく・・・なんていうと格好いいかもしれないけれど、現実では、音楽をがんばるわ。
そんな話をレッスンの後にしてあげた。少しは参考になるとうれしい。
注:あくまで、GAYOの主観です。絶対なわけじゃないです。
組曲「夢幻」といえば、先日、年内最後の演奏となるリハーサルを、ヴァイオリンの楢村さんとやった。彼女とは今年2月からたくさんお付き合いいただき、安定した実力で助けていただいた。その締めくくりが、ついに実現した組曲「夢幻」全楽章演奏。
これは、明日の土曜日、東京・日比谷のどこかでやってます。
明日が楽しみ。やはり、第二楽章がやっかいらしく、そして面白いらしい。
ダロ?ダロ?
「現身(うつしみ)」という楽章は、現実を音にした、いわゆるあの組曲の中では唯一リアリティーある楽章。他の3楽章は、理想やら空想やらの非現実世界を音にした。こうであってほしかった。こうであってほしいというGAYO2009の時点での願望の形。
さみしいね、この「記憶に残る2010年」。わすれられない一年となりました。私から離れていく人たちを見続け、そして新たに私のそばにやってくる人たちをみて、そして、そして、変わらず私の人生に関わってくれる人たちがいて。ほんと、まるで「零雫」の世界です。
あの曲をレッスンでやるたびに、こういう思いが交錯する。
私は私らしく生きていく。
「自分らしく生きる」
「音と笑顔のあふれる家庭を作る」
「心穏やかに音楽に向き合っていく」
気づけば人生3本柱になっていた。
高校のころから思っていた「自分らしく生きる」
5年前くらいから思っていた「音と笑顔のあふれる家庭を作る」
そして、今年から思っている「心穏やかに音楽に向き合っていく」
すべてを実現したいですね。
本日、福岡の仕事の打ち合わせをしていて、改めて思った。
そう、私の作品、全部映像と音を作りたいね。
VP(Video Promote)というのか、PV(Promote Video)というのか。
業界用語はわからないけれど、全作品の録音はもとより、DVDで映像として残したい。
なんのために、お金を稼いでいるのか。
演奏の対価をたくさんいただいているのは、何に使うためなのか。
経費をひいいて、残った分で楽器を購入したいのはもともとあるけれど、それ以外には、いまはこれかな。自分の作品を、「楽譜出版」「CD出版」「DVD出版」したいかな。
福岡では、Op.27,32,36のソロ3作品をやってくる。
この3作品。キーが同じなのだが、色合いが違うのね。
面白いんだよね。
作った時期は、2009年、2010年なのだけど。
作った想いが全部違う(あたりまえだけど)。
今作っているOp.37も、また色が違う。どうしようね。ソロ作品だけでも、コンサート半分うまっちゃうかもよ。Op.31をぬかしても。
楽しいね。
あと何回演奏できるかな。
あと何年生きられるかな。
12月は寂しいね。
今年は演奏がいくつか入ってくれてよかった。
来年も、演奏する機会がたくさんきますように。
私の曲たちを他の方々も演奏してくださいますように。
さらに続けてみよう。明日は日比谷にいっていて、ブログかけないだろうし。
私はね、いま、小さなことも幸せに感じられる。
そして、小さなことでも、ズキッと心に刺さる。
幸せなことは、受け入れる。ズキッとくることも受け入れる。
そのバランスが、来年は、そろそろ幸せなほうに大きく傾いてもいいんじゃないかなと思う。そうしないと、人生のバランスとれてないような気がするんだ。
どこかの誰かが、「幸せは自分の心が決める」といっていたような。
それも一理ある。認めよう。自分が幸せだと思えば幸せなのだ。
幸せじゃないと思ったら、無理して幸せに感じようとしないで、幸せじゃないものや環境からは、離れればよい。
仕事もそう。
そんなに仕事がいやならば、やめればいい。
やめることができないなら、愚痴いってもしょうがない。
やめれないなら、その中で幸せ探しをして楽しもうよ。
少なくとも私はそういう人間でありたいし、そういう生き方をしてきている。これから先は、ますますそこをむき出しにしていく。
人間関係は、大変ギクシャクすることもあるでしょう。
でもね、その分、演奏でキッチリ認めてもらえるよ。
それだけのことするもの。
まずは、今年最後の5回の演奏。
みててくださいな。
(といっても、聴けるのは、19日の国立博物館だけですけど)
もっともっと演奏したいなぁ。
だけど、MHFやる時間なくなるなぁ・・・・
MHFといえば、そうそう、EQのアメリカの友人からメールがきた。Almuricさん。お久しぶり。久しぶりにEQ内、英語の略語みた。
「ASAP」メールくれと。
さて、問題。「ASAP」ってなーんだ?(笑)