当ブログでは、

マスコミ業界で働く

コティマム&ジェイソン夫婦が、

業界"ナイショ話”と共に

「言葉の使い方」

知ると面白い「なるほどネタ」

プロ視点でお届けしますメール電球

 

 

サムネイル

妻・コティマム。

フリーランスライター鉛筆

元テレビ局芸能記者カメラ

業界歴17年。

 

サムネイル

夫・ジェイソン。

現役キー局ディレクターキラキラ

業界歴20年。

 

◎詳しい人物紹介はこちらから◎

 

 

 

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こんにちは。

妻のコティマムです。

 

 

一昨日、取材で撃沈した

コティマム。

 

 

 

 

 

 

 

記事は無事に公開されまして、

 

 

 

 

 

優しいお言葉もいただき

ありがとうございました。

 

今回は反省の意味をこめて、

撃沈理由をしたためます。

(※長文です)

 

 

 

  私にとって中村屋は特別

 

 

中村兄弟というのは、

私にとって特別な存在です。

 

今から10年以上前の

まだ20代後半だった頃、

現役で芸能記者をしていた私は、

2012年頃から歌舞伎取材

よく駆り出されるようになりました。

 

当時は歌舞伎なんて

見たこともなくて、

初めて大変な会見にあたった時

(今いろいろとニュースになっている

市川猿之助さんの

いとこ・香川照之さんが

歌舞伎界入りするという会見の時)は、

もうさっぱり訳がわからず、

大変苦労しました。

 

その会見に行ったことが

きっかけで歌舞伎取材に

当たることが多くなり、

その際に中村七之助さん

劇中の姿を見て

一目惚れ(という言い方は変ですが)、

心を奪われたのです。

目が離せなくなるような存在感というか

オーラがあったんですよね。

 

そこから兄・勘九郎さんとのコンビに

すっかりはまり、

父・勘三郎さん亡き後に

兄弟2人で一門を支える姿がとても

素敵に思えて、

勝手に応援していました。

 

スポーツ紙の演劇担当の先輩や

現場で出会う専門誌の方々に

いろいろと助けていただき

教えていただいて、

私自身も積極的に

歌舞伎を見るようになり、

すっかり中村屋推し

なっていました。ガーベラ

 

ですので、この頃から

編集部に届く歌舞伎系の取材案内は

自ら積極的に引き受けるようになり、

仕事でもプライベートでも

月に何度も劇場へ足を運んでいました。

(この頃の取材、本当に楽しかったです)

 

中村屋に関しては特に、

常に取材に行っていましたカメラ

自分にとっては、

中村屋が同世代というのもあり、

特に思い入れが強かったです。

実際に取材で話を伺えるのは

とても貴重でした。

 

取材で舞台への思いを聞き、

実際に観劇して、

その思いが現れているのを感じるという

良いループができていました。

 

 

私が夫の仕事の都合で

記者を辞めて東京を離れることに

なったとき、

ちょうど上の娘の妊娠がわかり、

かなり早い段階から悪阻などの

不調が出ていたのですが、

私はこの頃まだ、

記者を辞めることにも

東京を離れることにも

かなり未練がありました。

 

そして未練が残ったまま、

悪阻の体調不良もあった状態で

最後に行った取材も中村屋でした。

 

「あー、これが最後の取材か」

と切ない気持ちになりました。

 

◎記者時代最後の取材

 

 

 

そして東京を離れて東海地方に

住んでいたときも、

心の中には

「いつかまた現場に戻って

中村屋を取材したい」

という悶々とした気持ちがありました。

 

願い虚しく、

私は芸能の現場をすっかり離れ、

フリーランスで在宅で

仕事をするという、

ライターとして別の生き方を始めました。

 

ですが、

2020年に関東に戻ってきて、

2人目を出産した4か月後の

2021年の秋に芸能記者復帰。

そして年明けの2022年1月に、

オンラインでしたが、

中村屋を取材する機会がやってきたのです。

 

この時点で6年ぶりの

中村屋取材でした。

とても嬉しくて、

「絶対に何かひとつ質問しよう」

心に決めて挑み、

このときの取材は

とてもうまくいきました。

 

ですが、オンライン取材以降は

取材の機会に恵まれませんでした。

 

それが一昨日、

突如リアルな対面取材の機会が

まわってきたのです。

 

私は即答で「行きます」と答え、

事前にリサーチして

ある程度の質問も考えて備えました。

 

 

前置きが長くなりましたが、

私にとって、

それだけ中村屋は

特別な存在なのです。

 

 

 

  気負いすぎて瞬発力を失う

 

公開した原稿にも書きましたが、

今回の全国巡業の目玉は、

めったに上演されない珍しい演目

(天日坊の中の桑名浦乙姫浦島)を

156年ぶりに復活させるということ。

 

ですが、

これは説明がちょっと難しく、

実際には「天日坊」自体は

11年前に上演されていて、

この「桑名浦〜」

「天日坊」内に一場面として出てきます。

 

私は、質問するなら

この156年ぶりの「桑名浦〜」だな

と思ったのですが、

「復活」とはいえ

過去に上演はされているし、

それでも「桑名浦〜」自体に焦点を

当てるのは今回が初めだし……など

いろいろと考えていると、

質問としてのうまい聞き方が

ハッキリと定まらない状態

現場に向かいましたもやもや

 

でも聞くとしたら

ここがメインだなとは思っていました。

 

会場に行くと、

オンライン取材会の際に

お世話になった主催者の方から、

「コティマムさんも

ぜひ質問してくださいね」

と言っていただき、

質問は何かしらしたいなと

思っていました。

 

取材が始まって話を聞いていると

とても興味深くて頷くことばかりで、

「ここは書きたい!伝えたい」

思うことがたくさん。

 

ただ、今思うと私は、

7年ぶりのリアル対面取材に

気負いすぎていたのか、

「演目のことを聞かないと!」

視野が狭くなっていたように思います。

 

内容が難しく時系列も複雑なことから、

質問する際の言葉をどのように

すればいいか、この時点でも

うまくまとめきれていませんでした。

(反省1)

 

質疑応答のときになっても

うまく言葉が出て来ず、

そのときに別媒体の記者さんが

即行で手をあげました。

 

そして、まさに、まさに!!

 

私が聞きたいと

漠然と思っていたことを、

ものすごく的確な言葉で

質問されたのです。

 

あー、それ、それです、

私が聞きたかったことは!

という内容を、

その記者さんがどんどん聞いてくださる。

 

それに対して、おもしろい話が

どんどん返ってくる。

 

そしてまた記者さんが

それに対して追加で質問する。

 

ここで私は焦ります。

 

「あれ、これ、私が聞きたい内容

全部聞かれちゃったぞ。

やばい、何か質問考えないと」

 

 

これがまずかった。

 

焦ったことにより、

全然質問が思いつかない状態に。

(反省2)

 

「なにか聞かないと」

と思いながらも、

「演目について」と

視野が狭くなっていた私は、

難しい質問ばかり

考えようとしてしまう。

 

そうこうしてるうちに、

別のベテラン記者が

さらに深掘りした質問をされ、

話はどんどん難しくなっていく。

 

私はかろうじて

その内容についていけましたが、

それでも、

フリーになって子育てを

しながらたまに取材に出ている私は、

現役時代のように毎月何度も

劇場に足を運んでいるわけでもないし、

自分の中の情報が

あまりアップデートされていないことを痛感。

 

以前だったら、

いろいろ足を運んだ中から結び付けて、

「あ、この話が出たから

このことを聞いてみよう」

という対応ができたのですが、

今回はそれが全くできなかった。

(反省3)

 

じゃあ演目などの難しい話で勝負せず、

もっと気軽に疑問とか

思ったことを口に出せばよかったのですが、

もう真っ白になっていた私は

簡単なことすら

キャッチして質問に結び付けられなかった。

 

例えば

「何で髪がピンクなんですか」とか、

普通に聞けばよかったのに、

髪がピンクなのを見ても

「何かの役作りで情報解禁前かな。

触れない方がいいかな」とか

変に遠慮してました。

(反省4)

 

でも、他の記者さんは

ものすごくラフに気軽に

髪の色のことも

石田三成のことも聞いていました。

 

他の記者さんの質問が

とても深かったり専門的だったり、

ときにラフで気軽だったりと

幅広く展開される中で、

臨機応変に瞬時に

対応できなかった自分。

 

結果、主催者さんが

おそらく私に配慮して

最後の質問時間を作ってくださったのに、

その質問すら

他の記者さんが手をあげ、

私は何も聞けず終わりました。

 

もう、なんでもいいから

口に出して質問しとけばよかった。

「桑名浦〜」で無理だったら、

もうひと演目の「女伊達」で

何か質問すればよかった、とか、

今になっていろいろ

「こうすればよかった」が出てきます。

(反省5)

 

本当に情けなかったです。

 

・気負いすぎた

・猛者やベテラン、現役バリバリの

記者さんがいる中で、

「演目に関する質問」にこだわりすぎた

・テンパって、簡単な質問すら出てこなかった

・主催者さんの気遣いを無駄にしてしまった

・事前準備をしたことで視野が狭まり、

それ以外の事柄に目を向けられなかった

 

 

目の前で繰り広げられる会話や

他の記者さんたちの質問から、

新たな質問を考えられなかった。

何も拾えず、たくさん降り注いでいる

言葉を何ひとつ生かして

聞くことができなかった。

 

ベテランや現役記者と

同じ場所に立つにしては、

私はあまりにも鈍く浅かった。

自分の瞬発力、応用力の無さを痛感。

 

 

大反省です。

 

もう、落ち込み過ぎて

原稿を書くときも

ズドーンと落ち込み、

なかなか書けませんでした。

 

 

 

正直、ショックすぎて

その日は夢にまで七之助さんが出てきて、

私は夢の中で

取材リベンジしようとしていました。。

 

好きな分野の好きな取材だからこそ、

このショックと情けなさは

なかなか拭えません。

 

ただ、ひとつだけ

あえて自分で自分を励ますとすれば、

私が「聞きたい」と思っていた

演目に関する質問の視点

きっと間違っていなかったはず。

 

ベテランや猛者の方が

そこを聞いたということは、

それは私も方向性は間違っていなかった。

 

(と思いたい)

 

それから、

今回は読者の方に説明するのが

とても複雑な演目で、

特に時系列部分がまぎらわしいので、

そこの説明は記事内で

きちんとしようと心がけました。

 

 

今回私ができたことはそれくらいです。

 

もう、惨敗です。

 

例えが変ですが、

進学塾のトップクラスに

奇跡的に入り込めたものの、

周りの生徒が頭良すぎてできすぎて

全く太刀打ちできず

撃沈したような、そんな感覚でした。

 

 

次にまた中村屋の対面取材に

私が行けるのかはわかりませんが、

そのチャンスが巡ってきたときは

絶対挽回したい。

 

 

そういえば、

現役時代に大失敗して

編集長から怒られたことがあるのですが、

そのときの取材も中村屋でした。

(この話もまたいずれ書ければ)

 

彼らは私の憧れで

とても元気をくださる存在

ではあるけれど、

こうして手痛い失敗で

「学びを経験させてくれる存在」

でもあります。

 

 

この反省を次にいかします。

 

 

 

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