【意志と中動態と自利利他 7】 過去を無視して未来は語れない | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。


 意志について考えてきました。
 続けます。

 意志とは、過去を振り返ることなく、
 未来だけを見つめて、「未来を自分の手で切り開くぞ」と決意すること。

 つまりは、過去を自分から切り離そうとする、
 過去のことは忘れようとすることとも言えます。

 哲学者のハイデガーは、
 そうしている限り「人はモノを考えるところから最も遠いところにいることになる」
 と言ったそうです。
 人は必ず、過去から現在そして未来への時間の中、歴史の中を生きている。
 そこから目を背けている限り、「自分」について考えることはできない。

 これは、悪い意味での「ポジティブ思考」とつながると思います。
 嫌な過去は忘れて、明るい未来だけを考えよう、という「希望志向」とも言われます。

 人生は苦なり。
 だから、今までのツライことをクヨクヨ悩むよりも、
 これからが大事。未来に向かって生きてこそ、明るくなれる。
 
 しかし、これはこれで、
 なんだか無理に明るく振る舞っているように感じます。

 國分功一郎氏は、「<責任>の生成」で、次のように述べています。

  

    

「『未来志向』というのは非常にライトなかたちで世の中に浸透しているともいえますよね。子どもたちに対しても、『未来に向かって羽ばたこう』とかそういうことばかりが言われている。何か思い出したくない過去をみんなで必死に無視しようとしているようにも見えます。過去を忘れ、目を輝かせて、微笑みながら未来の夢に向かってジャンプしていく。それはハイデッガー的に言えば「考えるな、考えるな」と言っているに等しい」



 


 ここで確認しておきたいのは、
 過去のことでクヨクヨ悩まないことと、
 過去を忘れることは、同じではないということです。

 過去は、現在の自分を作ったものであり、
 現在という結果を生み出した、原因ともいえます。

 その流れ、その延長に未来があるならば、過去を無視して未来は語れないはずです。

 過去がつらく苦しいものであればあるほど、
 その過去を忘れ、切り離したくなるのは、ある意味では当然です。

 しかし、過去が苦しいものであればあるほど、
 それを本当に忘れられるのか、
 切り離して、明るい未来を切り開けるのか。
 リセットして、マイナスよりもゼロからスタートしたい気持ちは、
 痛いほどわかりますが、現実をみていく勇気は必要だと思います。

 未来を見つめるとは、
 過去と現在の自分が生み出す未来を見つめるということです。

 ゆえに、
 死を見つめることもまた、
 人生を振り返り、今の自分の心を見つめることになるのではないでしょうか。


 そして、死後は無であるという考え方は、
 今度は「未来を切断する」ことになりますが、
 それもまた、どこか無理があるように感じられてなりません。

 これもまた、「人生は苦なり」という負債が大きければ、

 それが「チャラになる(無になる)」という期待があるのかもしれませんが、

 「無からの創造」ならぬ、「無の創造」になってしまいます。

 この問題については、また後ほど触れたいと思います。