本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


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患者さんにも色々あって、


中には、

この人は困った人だな、とか

いわゆる曲者と思う人もあります。


でも、


「困った人」は「困っている人」。


一番困っているのは本人だと思うと、


その背景にある「苦しみ」をなんとかしてあげたいと思えてきます。


「困った人」を相手にすると思うのではなく、

「困っている人」と思えれば、自分もなんだか優しくなれそうですからね。



これをモットーに患者さんと向き合っていきたいと思います。





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健康であるとは、どういうことか。

意外と難しいこの問いについて、改めて考えてみました。

色々な定義の仕方はあると思いますが、
最近は、心に余裕が持てること、かなと感じています。

余裕があるとは、自分の状態を振り返る余裕を持てること。

自分の状態を振り返るとは、自分のツラさに気づけること。

余裕がないときほど、反省や振り返りができず、ひたすら走り続けることになりがちです。
もちろん、ガムシャラに取り組むのがいい場合もあるとは思いますが、
余裕がないと、どこかで無理がかかって倒れそう。
自分が疲れているとき、つらくなっているときは、ちゃんとそれに気づいて休むことができる能力も、大切にしたいと思っています。
自分のツラさに気づける力も、自己回復力の一つであり、自己管理の基本です。


また、余裕がないことの弊害は、
人のツラさにも気づきにくいことです。
自分のことだけでいっぱいいっぱいになると、
見て見ぬ振りをしてしまったり、
自分だって大変なんだからと言い訳をしたり、
自分の心が小さく、セコくなってしまいます。


自分に優しくあるためにも、
人に優しくなるためにも、
心に余裕を持つことは、とても大切なことだと思います。

だから、心に余裕を持つためのセルフケアをすることは、
自分のためでもあり、相手のためでもある。
特に医療者は。

自利がそのまま利他になり、
利他もそのまま自利になる。

そんな、自利利他の医療を目指したいですし、
さらには自利利他の、助け合いの社会になってほしいと願わずにおれません。





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幸せを求めるということは、
単に楽しいこと、やりたいことを探すのではない。

思うようにいかない生きづらさに悩んでいる患者さん達の話を聞いていて、最近特にそう思うようになりました。

自分でもよくわからないけど、生きづらい、むなしい、楽しくない、
そういう気持ちを抱えている人は、
自分にとっての楽しみや喜びが何なのかが、よく分からないと仰います。

でも、話を聞きながら感じるのは、
楽しみの前に、
自分のツラさや苦しんでいることに気づいていない、向き合えていないということです。

体も心も疲れているのに、
自分のことは後回しにし続けて、
周りに合わせて頑張りすぎていたり、
誰かのために尽くして燃え尽きてしまったり。

弱音を吐けない、
疲れたと言えない、
誰の前でも泣けない、
いい人を演じ続けてしまう、
いつも周りに気を遣ってしまう、
倒れても、気遣うのは自分のことよりも、周りに心配や迷惑をかけていないか。


幸せを求めるならば、
まずは自分のツラさは何なのかを見つめることから始まるんじゃないかと思います。

仏教に、抜苦与楽という言葉があります。

苦しみを抜いて、楽しみを与える。

幸せになるためには、苦しみを抜かねばなりません。


楽しそうな人、幸せそうな人に憧れて、
無理してでも幸せを求めて、でも求まらなくて、
それをひたすら繰り返すのではなく、
自分自身と向き合い、
自分の生きづらさ、悩みの根っこはどこにあるのかを見つめ直すことが、
これからの時代、より求められてくるんではないかと思います。





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幸福へと通じる扉の1つが閉じるとき、
別の幸福への扉が開く。
しかし、私たちの多くは閉じた方の扉をずっと見ているので、開いた扉の存在に気づかない。

(ヘレン・ケラー)


"When one door of happiness closes, another opens; 
 but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us."

(Helen Keller)


自分の可能性、
自分の幸せ、
自分の気持ちに気づけるかどうか、
自分を知るというのは難しいことですが、
その先にはきっと、
自分が本当に求めているものがあるんだと思います。






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この人はどうすれば動いてくれるだろう。

なかなか調子がよくならない患者さんと話していると、ついこう思うことがあります。

でも、こう考えると、「相手の葛藤が見えなくなる」。

動きたくても動けずに、必死でもがいている心のうちが。

実は本人は、必死に現状維持のために努力しているために、なんとか調子が崩れずに済んでいるのかもしれない。

こちらが、なんとか良くならないかなと思っている時は、
当然ながらご本人はもっとそう思っているはず。

それなのに、「現状からの変化」を求めるのは、
すでに精一杯頑張っている人に、もっと頑張れとムチ打つようなものかもしれない。

ネガテイブケイパビリティは、こういう葛藤、歯がゆさ、もどかしさに耐えることでもあります。




精神科医の神田橋條治先生はこんな皮肉を。

「してみせず 説いて聞かせて させてみて
  けちをつけては 人は育たぬ」


山本五十六の
「やってみせ 説いて聞かせて させてみて
  ほめてやらねば 人は動かじ」

のパロディです。



結果を見るのではなく、種まきを見るように。

目に見える行動だけを見るのではなく、心の種まきを見るように。

葛藤していることをわかってくれて、
それでいて、見守ってくれる人、やがてまた動き始めると信じてくれる人がいれば、
人は立ち上がれる。

精神科医にとって、
また、大切な人を見守り支えて行くために、
そう信じ続けることが、何よりも大切なんじゃないかと思う今日この頃です。




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