【死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス】第3段階:取引、希望、因果応報 | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

取引とは、神との取引だけではなく、

「希望」の、いち表現。

助かりたい、死にたくない。

絶望の淵で、ワラにもすがる思いで、救いを求める必死の心です。

(と、僕は思います)


■死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス

■第三段階/取り引き Bargaining

第三段階は取引を試みる段階である。
この段階は、第一、第二段階に比べるとそれほど顕著ではないが、
短い期間とはいえ、患者にとって助けになることに変わりはない。

患者はまず第一段階では悲しい事実を直視することができず、
第二段階では自分以外の人間や神に対して怒りを覚える。

そしてそのあと、その「避けられない結果」を先に延ばすべく
何とか交渉しようとする段階に入っていく。

「神は私をこの世から連れ去ろうと決められた。
 そして私の怒りに満ちた命乞いに応えて下さらない。
 ならば、うまくお願いしてみたら少しは便宜を図ってくださるのではないか」

というわけだ。

こういった態度は子どもによく見られる。

(中略)

終末期の患者も同じ作戦に出る。
過去の経験から、
善行が報われて特別に願いを叶えてもらえるという可能性が
わずかながらあることを知っているのだ。

大抵の場合、願うのは延命であり、その次に、
2、3日でも痛みや身体的な苦痛なしに過ごさせてほしいということである。

(中略)

取引とは、なんとか命を長らえようとすることである。
それは「善い行い」をすることへのご褒美を兼ねていて、
自分で「期限(デッドライン)」を設定すること
――たとえば、いま一度の公演や、息子の結婚式――にもなる。
だから「もしそのための延命が叶ったならそれ以上は望まない」
という暗黙の約束をすることになる。

だが、私たちの患者で「約束を守った」者は一人もいない。
つまり、彼らは、「行かせてくれたら、もう絶対に兄弟喧嘩はしない」という
子どもみたいなものなのだ。
言うまでもないが、子どもはまた兄弟喧嘩をする。

(中略)

心理学的にみると、約束は秘密の罪悪感と関連していることがある。
だから、患者がそのようなことを口にした時は、
医療スタッフは軽く聞き流さない方がよい。
もし病院牧師や医師が敏感にもそういった内容のことを感知したら、
その患者はあまりきちんと教会に行っていないことにとても罪悪感を感じているのかもしれないとか、
あるいは、深い無意識的な敵意にみちた願望があって、
それが罪悪感を駆り立てているのかもしれない、と察してあげる必要がある。

だからこそ専門分野を超えた視点から患者をケアしていくことが大事なのである。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)/中央公論新社

¥1,132
Amazon.co.jp



善いことしますから、善い運命をください。

悪いことはしませんから、不幸は勘弁して下さい。

自らの因果の報いを感じてか、人は何かと取引のような、

救いを求めずにおれなくなります。


誰もが、苦しみを厭い、安楽を願います。

だからこそ、悪いことは慎み、善いことをせずにおれなくなります。


人間の力では抗えない、巨大な壁にぶつかった時、

人間以上の何か大きな力による救いを求め、

人は、神を信じ、占いを求め、運命の好転を望みます。

たとえ、元気で順調で、冷静に考えられるときは、

「神なんていないよ、占いなんて迷信だ」とバッサリ言い切る人でも。。。


 溺れるものは、ワラにもすがる。

 困った時の神頼み。


でも、、、

The danger past and God forgotten.(危険が過ぎると神は忘れ去られる)



コロコロ変わる人生観では、救われる者も救われません。

困ったときの支柱を、平生元気なときから準備していないと、

いざという時に、結局おかしなものを掴んでしまうことになりかねません。



 居安思危 安きに居りて、危うきを思う
 思則有備 思いあれば則ち、備え有り
 有備無患 備え有れば、患い無し

 (史書「春秋」の注釈書「春秋左氏伝」(孔子が編集))


備えあれば、憂いなし。

Providing is preventing.

万事に当てはまります。


先を知る智恵を持って、

冷静に考えられる今、

なすべきことに臨んでこそ、

裏切られない真の希望が開けてくるはずです。