【死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス】第1段階:否認と孤立、現実と願望 | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

病院では日々、難病の告知がなされたり、
患者さんが亡くなられています。

死と向き合う人間の心は、どんな気持ちなのか。

当事者にならないと分かりえないような、
深くて重い問題です。

この分野において、有名なのが、
スイス人の精神科医;エリザベス・キューブラ-・ロス。
 (1926年7月8日 - 2004年8月24日)

「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」は、
様々な切り口で、
スピリチュアルペイン(やがて死ぬのに、なぜ生きるのかを問う)を表現しています。


 その5段階のプロセスは、

【否認】
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

【怒り】
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

【取引】
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
何かにすがろうという心理状態である。

【抑うつ】
なにもできなくなる段階である。

【受容】
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。


 
 第一段階は、否認。

100%確実な未来である死、

しかし、死期は最も不確実な未来であり、望まぬ未来。

受け入れられなさは、

死という現実の衝撃の大きさを表して余りある、心の防衛本能でしょう。



■死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス

 第1段階/否認と孤立 Denial


私たちは死に瀕している患者200人以上にインタビューをしたが、
ほとんどの人は不治の病であることを知ったとき、
はじめは
「いや、私のことじゃない。そんなことがあるはずがないと思ったという。

誰にでも最初に訪れるのがこの否認である。
患者は診断を知らされると不安になってそれを否認する
否認がとくに顕著にみられるのは、
その患者のことをあまりよく知らない人や、
受入れの準備が患者にできているのかどうか考えもせず
早く「片付けよう」と思っている人から、
告げられるべき時が来ていないのに突然知らされた患者の場合である。

少なくとも部分的な否認はほとんど全ての患者に見られ、
病気の初期や告知の後だけでなくその後も時おり見られる。

「われわれは、太陽をずっと見続けていることができないのと同じように、
 ずっと死を直視していることはできない」


そういったのは誰だったろうか。

患者はしばらくは自分自身の死の可能性について考え込むが、
その後は生き続けていくために、そういった考えを捨て去る。

病院のスタッフの中にも、
自分たち自身の理由から患者の状態を否認している人がいる。
そういうスタッフに対しては、患者の側も否認で応ずることが多い。

そういう患者は、家族やスタッフの中から適切な人を選んで、
自分の病気や迫りくる死について話し合おうとする
一方で、
患者が死んでしまうという事実を受け入れられない人がいるときは、
元気になったふりをする
これが、不治の病を患者に告知すべきかどうかをめぐって意見が分かれる理由の一つである。

・・・

私たちは定期的にK夫人を訪ねた。
私たちが日々の出来事や彼女の要求を聞いてあげていたので、
彼女は私たちとおしゃべりするのを喜んでいた。

しかし、彼女は徐々に弱っていき、
二週間ほどは、ただまどろんで私たちの手を握っているだけで、
あまり多くを話すこともなかった。
そしてその後ますます混乱し、錯乱した。

彼女は自分が、夫が持ってきてくれた香りのいい花で一杯の
美しいベッドルームにいるところを妄想した。
意識が比較的はっきりしている時は、少しでも時間が早く過ぎるようにと、
彼女は手芸に没頭し、私たちはそれを手伝った。
それまでの数週間は、二重のドアを閉め切られ、
彼女はたった一人で部屋で過ごすことが多かった。
スタッフの方も、してあげられると思うことがあまりなかったので、
立ち寄る者もほとんどなくなった。

彼らは、彼女を避けていることを「あの患者さんは混乱していてよくわからない」とか
「あんなおかしなことを考えていて、何を話していいかわからない」などと言って、
もっともらしい弁解をしていた。

こうして孤立し、ますます孤独感を深めていく中で、
彼女が「ただ、誰かの声を聞きたくて」受話器を取るのを見かけることもあった。

病院の人間は、医師、看護師、ソーシャルワーカー、牧師、だれであろうと、
こういう患者を避けてしまうことで、
自分たちが何を失っているのかよくわかっていない
患者と接する際には私たち自身の反応をも十分考慮する必要がある。

私たちの反応はつねに患者の言動に反映し、
その反応ひとつで患者の病状の善し悪しに大きな影響を与える。

自分自身を正直に見つめることは成長・成熟を大いに助ける。
その目的を達成するには、
患者、
いた患者、
の迫っている患者に接する仕事に勝るものはない。


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私達は、自分の死だけでなく、

他人の死も、受け入れられないほど、死を嫌っています。

ニュースや新聞で見聞きする様な、赤の他人のことなら、

自分とは関係ないことと流せても、

自分の知っている人、親しい人、目の前にいる人のこととなると、

途端に、その厳粛な現実を受容できなくなります。


それも恐らく、自分と関係のある人間の死は、

自分もやがて同じように死んでいかねばならないことを

突きつけられるからなのかもしれません。


死ぬまで死なないと思っている。

死ぬまで、死ぬことなんてありえないと信じている。

死んだら死んだ時と、強がってみたり、真面目に考えようともしなかったり、

ずっと目を背けて生きています。

太陽を直視できないように。


しかし、太陽から逃げることはできないように、

死を避けることはできません。



死をもって、生は終わる。

終わりよければ、すべて良し。

なれば、死を考えずして、満足した生は有り得ません。

死について思考停止することは、生をあきらめることと同義。


まずは、どうしても肯定できないほどの大問題を、

生きている人間誰もが、今このときも抱えていることを思い出す。

そして、限られた時間の中で優先順位をつけて、

自分にとって本当に大事なことは何かを、再考してみる。

考えることをあきらめず、

深く、重く、静かに、自分と対話していきたいと思います。