【死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス】 悪い知らせの伝え方 | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

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「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。


キューブラ-・ロスは、
人の悩みを聞くのが上手だったようです。

悩みを聞くことを、
巻き込まれたくないと面倒に思ったりせずに、
心を開くことが上手だったのかもしれません。



■死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス


「告げるべきか告げざるべきか」という問題の
もう一つの例がD氏である。

この患者が自分の病気を知っているのかどうかは、誰にも分らなかった。
スタッフは、彼が決して誰も近づけようとしないので、
きっと自分の病気の重大さを知らないのだと確信していた。
彼は病気について一度も質問しなかったし、
大抵の場合スタッフから怖がられているようだった。

看護婦たちは、
彼が病気に関するインタビューへの誘いなど受けるわけがない、
賭けてもいいと言っていた。

私は、難しいことは承知で、おそるおそる彼に近づき、
「ご病気はいかがですか」とだけ聞いた。
すると彼はあっさり「全身がガンなんです・・・」と答えた。

この患者にとって問題は、それまで誰一人として
単純率直に質問してくれる者がいなかったことだ。

周囲の者は、彼の不機嫌な表情を見て、
他人への扉を閉ざしていると誤解したのだが、
じつは彼ら自身の不安が邪魔をして
患者がどれだけ他の人々とのコミュニケーションを望んでいるかが
分からなかったのである。

悪性腫瘍を不治の病のように告知するのは、
「何をしたって無駄だ。どうせ何もできないんだから」
という印象を与えるので、
告げられた患者にとっても、その周囲の者にとっても困難の始まりになる

患者はますます疎外感に襲われ、医師の無関心を感じ、
孤立感絶望を深めていく。

病状は急速に悪化するか、あるいは深い抑うつに落ち込んで、
誰かが希望を与えない限り、そこから抜け出せなくなる。

こうした患者の家族は、患者と同じように、
悲しみ・無力感・絶望・自暴自棄といった感情を持つだろうが、
患者の幸福のために付け加えてやれるものはほとんど持たない。

そうした患者は残されたわずかな時間を豊かな経験としてではなく、
病的な陰鬱さの中で過ごしてしまう

念のために言っておかねばならないが、
患者の反応は医師の告知の仕方だけに左右されるわけではない。

しかし悪い知らせの伝え方は、
重要な要素であるのに過小評価されることが多いので、
医学生の教育や若い医師の訓練に当たっては、
もっと重要視されるべきである。


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相手にとって「悪い知らせ」を告げるべきかどうか悩む場合、

結構な割合で、

「相手が可哀想だから」というよりも、


嫌われたくないから、

落ち込んだら励ますのが大変だから、

八つ当たりされたら面倒だから、

などと、

「自分」の都合を優先している気がします。


相手と向き合う事から、逃げてしまっている気がします。


特にこういう「死」の問題は。

どう励ましていいか分からないし、

自分にとっても他人事ではないし、

「自分はまだ死なない」と思いたいし。


悩む人と向き合うには、それなりの覚悟が要ります・

自分も一緒に悩む覚悟が。




キューブラ-・ロスは、
上記の文章の後に続いて、こう記しています。

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患者はハッキリ告知されるかされないかに関わらず、いずれは気付く

そして、自分に嘘をついた医師、あるいは、
もっと早く病気の重大さを直視させてくれたら身辺整理ができたかもしれないのに
それをしてくれなかった医師を信頼しなくなる
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死の不安は、決して他人事ではない。

自分もやがては行く道。

もしかしたら、明日にも。

共に、死という避けられない未来を抱えた者同士、

死の不安と向き合う、同じ目線に立てたなら、

支えになれる何かが、見つかるのかもしれません。