【罪と罰 ドストエフスキー】 まちがいを犯すことよりも癪に障ること | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

「デスノート」のモデルはこれだったのかなとも思える、

名作「罪と罰」。


ジブリ映画「かぐや姫の物語」のキャッチコピーは

「姫の犯した罪と罰」。

何か関係があるのか、観てみたいです。



■罪と罰 ドストエフスキー


この問題でいちばん癪にさわるのはなんだと思う? 

やつらがまちがいをしていることじゃない。
まちがいは許せるよ。
まちがいなんてかわいらしいものさ、
だって、いずれは真実へみちびいてくれる。

ぼくが癪にさわるのは、まちがいをしながら、
しかもその自分のまちがいにぺこぺこしていること
なのだ。


罪と罰〈上〉 (新潮文庫)/新潮社

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キルケゴールは、哲学風に、

「改めざる罪は、新たな罪である」

と表現しています。


反省しないことは罪であり、

反省できないと、新たな罰が下る。


過ちを認めることが、

真実へと歩み出す、第一歩です。