【看護覚書 ナイチンゲール】 善意の陰謀が、患者を苦しめ、追いつめてしまう | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

小さな親切、大きなお世話。

善意のつもりが、気付かぬうちに、

無自覚のうちに、相手を傷つけてしまいかねない。


「そういうことがある」

「知らないうちにやってしまっているかもしれない」ということを、

心に留めておかねばと思います。




■看護覚え書―看護であること・看護でないこと
 フロレンス・ナイチンゲール


12 おせっかいな励ましと忠告
  Chattering Hopes and Advices


これには二つの場合がある。

その一つだが、もし病人が、
この善意の陰謀を胸に抱いて入れかわり立ちかわり押し寄せてくる
とてつもなく多勢の人びとのひとりひとりに向かって、
 なぜ自分にはそう思えないか
 どういう点で自分の病状は彼が思っているよりも悪いのか、
 他人には見えないどんな症状があるか、

などをいちいち説明する努力をしたとすると、
病人は「陽気になる」どころか疲れ果ててしまい、
結局、ひたすら自分の病気のことばかりを思い煩うことになってしまう。

一般的にいって、ほんとうに病状の悪い病人は、
自分のことをあまり話そうとしないものである。


看護覚え書―看護であること・看護でないこと/現代社

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自分が調子が悪い時、

忙しい時、

逆境にいる時は、

「誰かに、この自分のつらさをわかってほしい」

とは思いますが、

それを、逐一丁寧に「説明」しようとは思いません。

ましていわんや、

細かく尋問みたいに聞かれたくない。


聞かれたくないけど、聞いてほしい。

その辺の、微妙な違いを察することができるかどうかが、

苦境にある人の支えになれるかどうか、なのかもしれません。



裏を返せば、

ただひたすら「聞く」のは、難しく、

自分の興味があることを質問して、

自分なりの答え、結論を出してしまった方が「ラク」なのでしょう。


重く、深い悩みを、ただ真面目に聞いて、

「何も答えてあげられることがない」

「具体的に、何か力になれることが無い」

という「無力な自分」に耐えることは、とても難しいことです。

だから、そんな無力な自分を見せつけられることから、

逃げ出したくなる。

逃げたくて、つい、楽観的なこと、

あまり思いつめない方がいいよ、

と、無責任な励ましの言葉がでてしまいがちです。


だからこそ、

何も答えられないような重い悩みを、

「ただひたすら聞く」ことには、とても大きな意味があると思うのです。


それは、

相手から逃げないこと、孤独にさせないことであり、

無力な自分と向き合う事から逃げないことだから。