【看護覚書 ナイチンゲール】 善意はあるが、厄介極まりないおせっかいな励まし | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。



ナイチンゲールには、こんな名言があります。

 看護を行う私たちは、
 人間とは何か、
 人はいかに生きるか
 をいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要がある。



白衣の天使、看護師さんたちは、
いわゆる「スピリチュアルケア」を最前線で行っているひと。

100年も前から
(あるいはもっとずっと以前から)
問題にされ続けていたことのようです。


■看護覚え書―看護であること・看護でないこと
 フロレンス・ナイチンゲール

12 おせっかいな励ましと忠告
  Chattering Hopes and Advices



「おせっかいな励まし」とは、まことに奇妙な標題であると思われるであろう。

しかし私は固く信じているが、
友人たちの悪いくせである元気づけの言葉かけほど
病人を痛めつけるものは他に類がない。

それは一種の儀礼的な習慣であろうが、
私は、自分自身も含めておおぜいの病人たちを観つづけてきた長い経験から、
声を大にして叫びたい。
こんな習慣には絶対反対すると。

親族や友人、見舞客や付添い人など、
病人をとりまくすべての人びとに向かって私は心から訴えたい。

病人が直面している危険を、わざと軽く言い立てたり、
回復の可能性を大げさに表現したりして、
病人に「元気」をつけようとする、
そのような軽薄な行為は厳に慎んでいただきたい
と。

現実には、善意はあるが厄介きわまるこの種の友人たちに励まされて、
患者がすこしでも「陽気」になったりすることなど皆無なのである。
それどころか反対に、
病人は倦み疲れて気が滅入ってしまう。


看護覚え書―看護であること・看護でないこと/現代社

¥1,785
Amazon.co.jp



無責任な励ましは、
励ましようのない厳しい現実を突きつけられるようで、かえって辛くなります。

善意は、思いつきで形に表すのではなく、
ちゃんと相手に届くように、
本当に相手に寄り添えるように、
できる限りの事前の準備と、
自分も一緒に悲しみ、悩む覚悟として表現してこそ。

重いものは、軽くできないからこそ、
一緒に持ってくれる人がいてくれると嬉しい。

軽くならない悲しみをわかってもらいたい。

自分も抱えている未来のことだから、
他人事ではないと知れば、
なおさら逃げてはいられない。