愚者の独り言

愚者の独り言

チベット仏教ニンマ派の実践とシーク教に伝わるクンダリーニヨガを実践する大阪のおっさん。
アメンバーはリアルの友達か、クンダリーニヨガ吉祥寺の生徒さんのみに許可となっております。まずはメッセージで連絡お願いします。

今年も母と妹と共に春日大社と石上神宮に初詣に行ってきた。

去年も書いたが、初詣というか神社というと、近所の神社に行くくらいしかしてなかった私だったが、修験道の先生たちと一緒にこれらの神社に一緒に初詣に行った時は、車で一時間くらい走ったところにこんなところがあったんだなぁと色々と思うところがあった。

 

春日大社の創建は768年。石上神宮に至ってはいつかはっきりせず、神宮としては最古で、古事記や日本書紀に出て来るようなとこだ。

もちろん、建物自体はそんな古いものではなく、何度も建て替えがあったりしただろうが、この場所において様々な行事が行われ、行が行われ、人々が信仰の場として集ったところに自分も今いると想像するのは非常に楽しい。

 

そんな場所にいると、嫌な奴のことは忘れて、みんな幸せになれたらいいなぁなどと思ったりもする。

 

 

帰りの車の中で、会社の上司を思い出していた。

 

年齢は私より一回り下。仕事は若くしてマネージャーになっただけあって、非常にできる。性格も今までの上司の中ではいい方だ。

 

が、そんな人間の人生がずっと順風満帆かというと、やはりそうはならない。

 

結構、いいところのお嬢さんと結婚したらしい。子供も3人こさえたらしい。家も6千万もの家を建てたらしい。

家を建てたか建てる前だかに、よく出勤時にあれこれ家のことを話したりしたが、楽しそうだった。

 

だが、色々あったんでしょう。

家が建って一年後に離婚。家も嫁も子供も手放した。

ちょうどその頃、実家の親兄妹の中でもいくつか不幸が続いたらしい。

 

この上司は全く宗教心とか信仰心はない。

彼と話していた時に、あんなものは詐欺、まったく意味がないくらいに思っていることが見れる発言をよくしていた。

 

しかし、いつの間にやら神社などに参拝に行くようになっていた(笑)

 

人間、苦しいことが続くと、あんなにこの手のものを馬鹿にしていても神様にお願いしに行ったりするんだなぁと、非常に驚いたものだった。

 

ただまあ、この上司知識の入れ方がちょっとズレている(笑)

 

先日、とある同僚が厄年なのでお祓いとか行った方がいいのかな?お祓い受ける時にどんな服装で行けばいいのかな?と私に聞いてきた。

 

伊勢神宮や出雲大社などはスーツでって雰囲気あるけど、他のとこなら普通のかっこでもいいよと言ったところ、この上司がスーツで行った方がいいと言ってきた。

なかなか礼儀正しいやんと最初は思ったのだが、その言葉の後に「島田秀平がそう言ってた」と言ってきた(笑)

 

神職やお坊さんからそう聞いたというのなら分かるが、なんで芸人の言葉が情報源になっているのだろうかと、ちょっと内心笑うしかなかった。

 

少し前のその上司の言葉で、「最近色々と調べたけど、宗教なんてどの宗教もほぼ同じことしか言ってない」と言っていたが、何を情報源にそんなこと言ってんだろうと思っていたが、どうやらあまりいいものは読んでなさそうだった。

 

日本の古い信仰の基本形というものは、神を招き、神に色々とおもてなしをし、一年間の無事を感謝し、神にまた帰ってもらうというものだ。

なので、神社の参拝でも、餓鬼のように欲の皮を突っ張らせて、あれが欲しいこれが欲しいとお願いするのは、私からみると気違いじみている、邪道だ。

神社などでは、無事に暮らせていることを感謝する場所だと思っている。

 

密教などでも、増益法や延命法があるが、あれも本来は、僧侶が信仰の在り方として他人に奉仕作業を行うための増益法であり、他人の為に時間を使うから、つまり有限の自分の人生の時間を使うからこその延命法だと聞いたことがある。

なので、自分の利益追求の欲の皮を突っ張らせた人の利益のための増益法とか延命法など、何か大切なものを失いかけない邪法となりえる危険性があるものである。

 

信仰で予想外ともいえる幸運を得られるかというと、私はそういう人は一人しか知らない。

でも、その先生を見ていると、あそこまでやるとああなるのかというレベルだ。

ちょこっとなんかやったくらいで人生が変わるなんてことはない。

あっても一時的なもので、なけなしの何か大事なものを消費した形になっている。

 

金が欲しいなら人の倍働け。

人の倍勉強しろ。

安らいだ人間関係が欲しいなら、他人のために動け。

年とっても健康でありたいなら、暴飲暴食は止め、運動し、おかしくなる前から鍼灸整体などで体を整えろ。

それでも病気にはなるけどね。

 

しかし、人生というものは基本的に「苦」だ。

自分が思うような幸せにはなれないことは、頭の片隅に入れておくべきた。