さて過日、訪問する旨の告知をしていましたが予定通り韓国の都市交通を見て歩くツアーを開催致しました。
ご参加いただいたのは2名で、うち1名は関空から土曜日の釜山市まで、もう1名は金曜午後の春川市から日曜朝の仁川市までご参加いただきました。改めまして、ご参加いただきましたこと御礼申し上げます。
ということで、まずは関空からの出発なのですが諸般の事情で当初から波乱含みで、航空機のチェックインがギリギリになるなどハプニングもありましたが無事に手続きを終え、LCCの遅延リスクに備えて腹ごしらえをして、いざ乗り込みます。今回もピーチアビエーションでのフライト、桃色の航空機ももう3回目の搭乗@ワタクシ。タラップを登って、機内に乗り込み出発!
遅延を覚悟するも、今回はスンナリ着陸。同行者が「ボクはヒコーキ運が強いンデス!」と豪語していたのは伊達じゃなかったようで、入国手続きでもさほどの混乱はなく、仁川国際空港のターミナル見学などしてからA'REXの各停に乗り、孔徳で5号線に乗り継ぎソウルの宿へ向かいます。
仁川空港の鉄道駅、近未来的なデザインで目を引きます。コンコースを貫くチューブはリニアモーターカー(HSSTもどきの韓国規格)の軌道で、近隣の諸施設や観光名所と空港を連絡。もうじき営業運転が始まるようです。
さて地下鉄5号線に乗り換えたら、たまたま最後尾の車両に乗り込み、ちょうど自転車対応車両に当たりました。
ソウルの都市鉄道では自転車持ち込みの対応が数年前から進められており、編成の両端の車両には自転車が持ち込める車両が増えています。対応は都市圏鉄道の主力3社(ソウルメトロ・都市鉄道公社・KORAIL)でそれぞれ少しずつ設備が異なり、5号線は都市鉄道公社仕様。側壁沿いに自転車を止め、扉横のスタンションポールが前輪固定になっており、握り棒部分に自転車固定ベルトが付けられているタイプ。KORAILでは、また別のスタイルの車両がありました(改めてご紹介します)。
さて宿は忠武路4街駅に近いレジデンス。韓国人もリアルに棲むマンションの日貸しなので韓国人の生活を垣間見れる宿。窓からは南山ソウルタワーが見え、今回も心地よく過ごせそう♪
とはいえ、チェックインしたらもう深夜。少々空腹なので、この時間でもメシが食べられるトコロということで、歩いて10分少々の広蔵市場へ。とても韓国らしい場所なのですが、初韓国の学生クンを連れていくには刺激が少々強すぎたかな…?いきなり「ソウルでもトップクラスのディープエリア」ですしね(苦笑)。
食べたのは、トッポッキ(餅の甘辛煮込み)とピンデトッ(緑豆粉の厚焼きチヂミ)、キンパ(韓国版海苔巻き)、そしてコッテギ(豚の皮のコチュジャン炒め)。韓国の屋台の定番メニューでしたが初韓国の学生クンには辛味が強かったようで、トッポッキとコッテギはほとんど私が食べました。もう私は舌が慣れたのか、それほど強烈な辛さには思わなかったのですが(苦笑)。
ということで翌朝の金曜は、予定では第一の見学として早朝の急行電車で議政府市へ出向く予定でしたが、朝の段取りで手間取り間に合わず、じゃあユックリ行こうかと早朝のソウル市街を見学しながら地下鉄1号線の鐘路5街駅まで。
朝日に輝く清渓川は、その先に輝くビル街が印象的で美しく。十年ほど前まではここが暗渠で、その上に高架道路が覆い被さった半スラム地域だったとは思えない光景。鐘路5街駅ではコンビニでwi-fi短期契約カードを買い、路上を走るバスを見ながらホームへ。バスは制度が整理されても、走りは相変わらずアグレッシブ。
今回は議政府まで行くのですが、乗り継ぎ先が共通運賃適用外なので学生クンをけしかけて1回乗車券を購入させてみました。あら、デザインが変わってるじゃないですか。機能は変わってなさそうですが、さすがに旧カードは耐用期限が来たのかな。
さて1号線の電車に乗って、議政府へ。電車はネタで「来るまで待とう」と言っていたソウルメトロの初期抵抗車!運良くやって来ました。足回りは日本の国鉄301系と同様の交直流車。103系にそっくりな乗り心地&音響を楽しみながら、議政府まで向かいます。車窓には韓国らしい高層アパートと、京元線沿線らしい工場の煙突、そして田園が。川沿いの道をよく見たら、自転車レーンが整備されています。こんなところも韓国らしいなぁと思いつつ、まるで日本の都市近郊私鉄のような京元線を楽しみながら議政府へと向かいます。
さて、そんなこんなで議政府駅に着き、軽電鉄に乗るぞ!と意気込みたいけど寒いのと腹が減ったことで意気消沈、まずは腹ごしらえと駅前の粉食屋(軽食堂)へ入り、カルグクス(韓国の麺料理)を食べて暖とエネルギーを補給。カルグクスは炒り子出汁ベースの海鮮系スープで炊いたもので、典型的なカルグクス。そこらの店としては結構美味しかったような。韓国人のオッサンがたむろしている店を選んで良かった(笑)。
ということで、エネルギーを蓄えて事実上最初の交通視察に挑みました。
(つづく)