9日(日)の朝日歌壇には、もう1首、山添葵さんの歌が入選していた。
高野公彦氏選第10席、永田和宏氏選第7席、重選である。
えらそうに言っちゃうときもあるけれどごめんね全部思春期のせい (奈良市 山添葵)
思春期というのは、厄介なものである。
自我が目覚め、大人の言う通りにするがいやになり、何かと反抗してみたくなる時期である。
わたしの教室の中学生たちも、家では御両親を困らせているようである。
一生懸命反抗して、自己主張してみるのだが、まだ中学生の理屈と言葉では大人に太刀打ちできない。
言い負かされて、ますます意地になる。
自分が間違っているとわかっていても、謝って、言われたとおりにするのは絶対にいやである。
親も手を焼いているが、本人も親以上に自分の感情をもてあましているのではないか。
山添葵さんは、そんな厄介な感情と向き合うのによい道具を持っている。
短歌である。
短歌を詠むためには、自分の感情やその対象に、冷静にまっすぐに向き合わなければならない。
31文字にまとめるために、自分の感情と言葉を研ぎ澄まさなければならない。
そうして純度の高い結晶となったのが、「ごめんね全部思春期のせい」という下の句である。
「ごめんね」と言うのには、葛藤があっただろう。
全部自分の「思春期のせい」にすることにもためらいがあったのではないか。
この歌ができあがるまでの、その背景にあるものを想像すると、中学生の親であるわたしは何とも言えない気持ちになる。
わたしは、自分の娘や生徒たちの気持ちをどれだけ理解できているだろうか。
思春期はむずかしい。
思春期の子と向き合う大人もむずかしい。