今日(23日)の朝日小学生新聞、「ecoのとびら」は、傘の忘れ物の話題であった。
警視庁に届けられた忘れ物の傘の数は、1年間で29万本だという。
しかも引き取りに来る人はほとんどいないらしい。
警視庁では、傘専用の広いフロアで保管しているという。
鉄道に忘れられた傘は鉄道会社で保管されるが、これも処分が大変だという。
遺失物として警察に届けなければならず、転売したりごみとして処分するにも手間がかかる。
さまざまな素材でできているためにリサイクルが難しく、処分は埋め立てることが多いが、埋め立て地はあと23年でいっぱいになってしまうという。
耳の痛い話である。
わたしも、電車内に傘を置き忘れたことが何度もある。
大抵は数百円程度の傘であり、取りに行く手間や交通費を考えるともとが取れないので、引き取りにいかなかった。
鉄道会社の社員さんの手を煩わした上に、埋め立て地に埋められて地球の環境を汚しているに違いない。
たとえ損になっても、地球で暮らす人間の責任として、引き取りに行くべきであった。
記事を読んで、深く反省した。
それにしても、電車の中の傘の置き忘れを防ぐ方法はないものだろうか。
「傘の置き忘れにご注意ください」という車内放送はあるが、あまり聞いていない。
本を読んでいて目的の駅についたことに気付き、慌てて降りるときは確実に置き忘れる。
スマホに集中している人も、事情は同じであろう。
安価な傘に特別な装置をつけるのは現実的ではない。
結局、ひとりひとりが自覚して気をつけるしかないのだろう。
最近はめったに電車に乗らないので車内の置き忘れはしていないが、店の傘立てに置き忘れたことはある。
置き忘れに気付いたのは数日後であり、どこで置き忘れたかも記憶があいまいになっていて、結局あきらめた。
我ながら自分の迂闊さがいやになる。
近所のスーパーに自転車で行って、歩いて帰ってきてしまうことも、ときどきある。
さすがに自転車はすぐに気づいて取りに行って、ことなきを得ている。
ことのは学舎の生徒の忘れ物で多いのは、傘、水筒、上着である。
今日も傘立てに1本、誰かの傘が残っている。
生徒が帰るときにわたしが一声かければよいのだが、それを忘れてしまう。
脳の検査を受けた方がよいかもしれない。