安中榛名 | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 北陸新幹線が脚光を浴びている。

 3月16日に金沢-敦賀間が開業し、首都圏から北陸への旅が便利になったのである。

 この北陸新幹線の駅で、わたしがもっとも気になるのが、安中榛名である。

 

 わたしがこの駅を知ったのは、朝日歌壇に2023年6月25日に掲載された、この歌による。

 

間違えて作ってしまったような駅「安中榛名」何にもあらぬ

                  (安中市 岡本千恵子)

 

 「何にもあらぬ」ところに「間違えて作ってしまった駅」とはどのような駅なのか、気になってしょうがない。

 安中榛名駅は、高崎-軽井沢間の山間部にある。

 新幹線の駅とはいえ、新幹線は2時間に1本しか停まらない。

 本当に、間違えて作ってしまったのだろうか。

 

 こんなところにこんな駅が作られたのには、こんな事情がある。

 長野新幹線が長野まで開通した時、高崎から軽井沢までの区間はほとんど群馬県内であるので、その費用の大部分を群馬県が負担した。

 線路建設の費用は負担したものの、高崎を出たあと軽井沢までひとつも駅がないため、長野県に乗客を運ぶだけで群馬県には何の利益ももたらさない。

 これでは納得がいかない群馬県が、軽井沢の手前の群馬県側に駅を作ることにした。

 しかし、高崎-軽井沢間はほとんど山の中でトンネルばかりなので、駅を作る場所がない。

 たまたまトンネルの切れ目があった場所に作られたのが、安中榛名なのである。

 安中榛名新幹線の需要があったわけではない。

 

 そんなわけで、「間違えて作ってしまったような」ものなのである。

 北陸新幹線が話題になっている今も、安中榛名の駅前は、何もない。

 無駄に広いロータリーには、タクシーも停まっていない。

 観光客が食事をする店もない。

 ほんとうに、「何にもあらぬ」なのである。

 しかし、そんななんにもない駅をこうして話題にして採り上げさせたのは、岡本千恵子さん歌の力である。

 

 古来の歌枕の多くは、実際にその土地を訪れることなく歌に詠まれてきた。

 能因法師「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という歌を、実際には白河に行かずに詠んだことは有名である。

 この歌以来、白河の関は歌を詠む者にとっての聖地となった。

 

 安中榛名は、岡本千恵子さんの歌によって、歌枕となった。

 これからも、多くの旅行者が安中榛名を素通りしていくだろう。わざわざ安中榛名で下車する物好きはいない。

 しかし、朝日歌壇の読者は、素通りするときにふと、この「安中榛名何にもあらぬ」という歌を思い出すであろう。

 そうして、何にもない安中榛名に思いをはせるのである。

 

 現代の歌枕も、一首の名歌によって生まれるのである。

 千年後には、駅前に歌碑が建っているかもしれない。

 ぜひ行ってみよう。

 とは思わない。2時間に1本しか停まらないし。