今日(12日)の朝日小学生新聞に、「カプレカー定数」というものが紹介されていた。
インドのカプレカルという数学者が発見した、数の規則性である。
4けたの整数の各桁の数字を並べ替えてできる最大の数と最小の数の差を求める。
その数を並べ替えて、同じ作業を行う。
この作業を繰り返すと、必ず決まった数に行きつくのである。
その、行きついた数がカプレカー定数である。
ことのは学舎の住所の、「14番25号」で試してみよう。
「1」「4」「2」「5」を並べ替えてできる最大の数は5421、最小の数は1245である。
その差は、
5421-1245=4176
となる。
この4176を並べ替えると、最大は7641、最小は1467となる。
その差は、
7641ー1467=6174
となる。
6174に同様の作業を行うと、
7641ー1467=6174
となり、前と同じになる。
つまり、この後はこの作業を何回繰り返しても6174になるのである。
今日の日付の0412で試してみる。
4210-0124=4086
8640-0468=8172
8721-1278=7443
7443-3447=3996
9963-3699=6264
6642-2466=4176
7641ー1467=6174
やはり6174になった。
あとは何回繰り返しても同じである。
このように、この作業を繰り返すと4桁のどんな数でも最後は6174になるのである。
この6174が、カプレカー定数である。
不思議である。
でたらめな数字が、同じ作業の繰り返しで、必ず同じ数字になるのである。
しかも、その数字が6174という、極めて半端な数字なのである。(9の倍数である、ということ以外に特徴はない)
カプレカルは、どうしてこんなことに気付いたのだろう?
そもそも、どうしてこんな計算をしてみようと思ったのだろう?
数学者というのは、不思議な人種である。
数字を見ると、そこに何らかの規則性を見出さなければ気が済まないらしい。
このカプレカー定数は、知っていてもたぶん、何の役にも立たない。
この計算手順や6174という定数に、実用性はない。
ただ、純粋に、数字の持つ神秘性が感じられるだけである。
自然界には、このような意味も実用性もなく美しいものが多い。
桜の花の形や色には実用性も必然性もないし、人間がそれを美しいと感じる理由もない。
それでも、人間はそれを美しいと感じる。
数字というのは、人間が創り出したものだろうか、自然界に最初から存在したものだろうか。
人間が数字を発明する前から、3の2倍は6であり、6の3倍は18であったはずである。
その規則性を人間が見つけて、数字という名前を付けただけである。
それは、生物の同一性と差異に気付いて「イヌ」「ネコ」などの名を付けたのと同じことである。
人間が「イヌ」「ネコ」と名付けなくても、「イヌ」も「ネコ」も存在している。
数字も、人間が見つけて名前を付けなくても、勝手に存在していたはずである。
人間がまだ発見して名前をつけていない生物が存在するように、数にもまだ発見されていない規則性が存在するに違いない。
数学者は、たぶんそんな気持ちでこのような規則性を探しているのだろう。
数学って、おもしろい。
それにしても、なんで6174なのだろう?
ヒマなときに、証明してみよう。
カプレカー定数のTシャツが売られていた!
誰が着るの?