日曜日は、朝日歌壇である。
今週も、ロシアで獄死したナワリヌイ氏を詠んだ歌が入選していた。
遺体さえ所在不明のナワリヌイ氏への途切れざる無言の花束
(寝屋川市 今西富幸)
俳句もあった。
ナワリヌイの獄死に偲ぶ多喜二の忌 (三木市 矢野義信)
先週(17日)の歌壇には、3首入選していた。
殺人鬼プーチンに触れ深夜便ナワリヌイ氏の訃報伝える
(名古屋市 甲斐万里子)
毒を盛る国に戻りて闘いしナワリヌイ氏の死に驚かず
(浦安市 中井周防)
ナワリヌイ死去のニュースを聞きながら母の襁褓の世話をしている (草加市 永吉謙一)
ナワリヌイ氏の獄死をどう受け止めたらよいか、わたしは立場を決めかねている。
先日の大統領選で、得票率約90%という異常に高い支持を得て再選を果たしたプーチンに対して異を唱えることは、あの国では死と直結している。
それを承知の上で、獄死も覚悟の上でプーチン政権の腐敗を糾弾したナワリヌイ氏の勇気は、賞賛に値する。
その一方で、ナワリヌイ氏の思想や政治理念に、共感できるところは少ない。
反移民主義やクリミア併合支持、ウクライナとロシアの統合など、強度の民族主義的思想には賛同できない。
もしナワリヌイ氏がプーチン政権の打倒に成功していたとしても、ロシアが今よりよい国になったとは思えない。
入選歌がいずれも、ナワリヌイ氏に決して同情的でないのは、作者にもわたしと同じような思いがあるからではないか。
矢野義信さんの句に「多喜二を偲ぶ」とある。同感である。
獄死と聞いて偲びたくなるのは、ナワリヌイ氏より小林多喜二である。
小林多喜二は、労働者の味方であった。
命を賭けて、労働者の味方であり続けた。
やはりわたしも、多喜二忌に多喜二を偲びたい。