昨日(18日)のNHK大河ドラマ「光る君へ」の中に、一条天皇即位の日の不吉なできごとのエピソードがあった。
即位式の会場となる大極殿の準備をしていたときに、天皇がお座りになる高御座に生首が置かれていた、というできごとである。
ドラマの中では生首そのものはもちろん映らず、生首があったという生々しいセリフもなく、観ていて何が起こったのかわかりにくかった。
血は穢れとされ、本来ならば即位式は延期されるべきところだが、道長の機転により内密に処理され、即位式は予定通り行われた。
現場にいた者たちには厳重に箝口令が敷かれた。
というのが大河ドラマの内容である。
このエピソードの出典は『大鏡』だが、大河ドラマとはかなり違っている。
『大鏡』では、道長は一切関与していない。
『大鏡』では、このように書かれている。
即位式の現場責任者は、すぐに兼家に報告した。
報告の最中に兼家が居眠りを始めた。
聞いていないと思い、現場責任者がもう一度報告したが、再び兼家は居眠りをした。
報告が終わると兼家は目を覚まし、準備は終わったか?、と尋ねた。
そこで現場責任者は、聞かなかったことにしておく、という兼家の意図に気付き、報告した自分の気の利かなさを悔やんだ。
これが『大鏡』の記事の内容である。
大河ドラマでは、道長の政治家としての有能ぶりを語るエピソードになっているが、本当は兼家のエピソードである。
しかも、箝口令を敷いた大河ドラマの道長よりも、聞かなかったふりをして有耶無耶にした『大鏡』の兼家のほうが、老練で有能な政治家である。
道長が箝口令を敷いたことは、当事者の知るところである。
もし事実が露見したら、道長も責任を取らなければならない。
大河ドラマでは兼家も道長の報告を受けており、事件に関与している。
『大鏡』の兼家は、居眠りをしていて何も聞いていない。
この件には一切関わっていないのである。
後で事実が露見しても、何の責任も取らずに済む。
これが正しい政治家の姿である。
自民党の派閥の裏金問題で政倫審に出席した議員たちは、皆一様に、知らなかった、自分は一切関与していない、と言い張っている。
これが日本古来の由緒正しい政治家のあり方である。
兼家ほどの老練さがなく、国民の目をまったく欺くことができていないのが残念である。
兼家が不吉なできごとをなかったことにしたのは、迷信など気にしない、現代の我々から見れば合理的な態度である。
裏金議員たちが裏金の使途を帳簿につけずに正しい政治活動に使ったと説明しているのは、道理に合わず説得力に欠ける態度である。
大河ドラマ「光る君へ」、荒唐無稽でおもしろい。
道長とまひろの恋の行方から目が離せない。
『大鏡』には道隆の酒豪ぶりをつたえる魅力的なエピソードがある。
大河ドラマの道隆は、少し端正でお行儀が良すぎる。
酒を飲んで弾けるシーンを期待している。