日曜日は、朝日歌壇である。
今日は「うたをよむ」欄に「人生を刻んだ投稿歌」という題で、長尾幹也さんのことを紹介していた。
長尾幹也さんは投稿歴約50年、入選歌数830首の、朝日歌壇を代表する投稿歌人である。
4年前、62歳のときに多系統萎縮症という診断を受け、闘病の末に今年の1月末に亡くなった。
わたしが長尾幹也さんを意識するようになったのは、長尾さんが闘病をはじめてからである。
以前このブログで紹介した、
病状はやがてこうなりこうなると淡々と言う早春の医師
(2023年4月2日 永田和宏氏選第6席)
や、今日の記事で佐々波幸子さんが紹介している最後の掲載歌、
妻は泣きわれは視線に文字を打つ午後の病室蝶も鳩も来ず
(2024年1月7日 永田和宏氏選第1席)
など、わたしは何度も読み返している。掲載された日にも、思い出した日にも、亡くなった今も、何度も何度も読み返している。
死と真っ直ぐに向き合いながらこのような静謐な境地で歌を詠む長尾幹也さんの、人間の深さを心から尊いと感じている。
記事では、長尾さんの「苦しい時ほど歌は生まれた」という言葉を紹介している。
長尾さんが世の中で生きていく中で、また不治の病との闘病の中で体験した苦しさは、わたしなどの想像を絶するものであろう。
この苦しみの結晶が、830首の歌である。
すべての歌が、わたしの心に深く響いてくる。
長尾さんは今、長い闘病の苦しみから解放されてほっとしているだろうか。それとも、もっと歌を詠みたかったと無念に思っているだろうか。
わたしは、もう朝日歌壇で長尾幹也さんの歌を見られないと思うと、悲しくてたまらない。