昨日(13)の朝日小学生新聞の「キニナリ!」は、駄菓子屋を採り上げていた。
3月12日は「だがしの日」だそうである。
東京都江東区になる「だがし夢や ららぽーと豊洲店」には600種以上の駄菓子が並んでいる、と紹介している。
そう、最近の駄菓子屋は、ショッピングモールなどの中にあり、チェーン店なのである。
わたしが子どもの頃、駄菓子屋はみな個人経営で、自宅兼店舗の店でおばあちゃんが店番をしているものであった。
駄菓子には「なつかしの」という言葉がつきものだが、ショッピングモールの中のチェーン店の駄菓子屋には、なつかしさは感じられない。
ひとつひとつの商品は昔から変わっていないものが多く、なつかしく感じる人もいるだろう。
実はわたしは子どものころに駄菓子屋に出入りする習慣がなく、ほとんど駄菓子を食べたことがない。
大人になり、自分の子どもができて、たまに買うようになった。
そんな訳で、わたしにとって駄菓子屋といえば、子どものときの思い出よりも、我が子の幼少のころの思い出と結びつく存在である。
我が子が初めて自分でレジに並んでお金を払って買い物をしたのが、旅先の駄菓子屋であることを、先日のこのブログで書いた。
その店も、チェーン店である。
品揃えが駄菓子であるけれど、普通の買い物と変わらない。
今の子どもたちは、将来駄菓子屋の思い出をなつかしむことはあるのだろうか。
わたしは、駄菓子屋との距離感があまりよくわからない、と、小学生新聞を読みながら感じた。
川越の駄菓子屋横丁では、長さ1mほどの、棍棒のような「ふがし」を売っている。
買って持ち歩いている人も多いが、あれを1本食べきるのは、苦行ではないか。
家に帰ってから、なんでこんなものを買ってしまったのか、と後悔するに違いない。
それでも買ってしまうのは、駄菓子の魔力であろうか。
駄菓子は、よくわからない。
でも、「うまい棒」は好きだ。
1mの「うまい棒」があったら、買ってしまうかもしれない。
駄菓子の魔法か。