ことのは学舎の中学生の国語の授業で、永田和宏氏の『知の体力』の一部を読んでいる。
都内の私立高校の入試問題である。
永田氏は、相談に答えるときに必要なのは、相手の悩みに対する適切な答えではなく、じっと相手の言葉を聞き続けて寄り添うことだ、という。
永田氏は、平田オリザ氏から聞いたエピソードを紹介している。
末期がんの患者の妻が、解熱剤が効かない理由を看護師に訊ねた。看護師が丁寧に答えた。
ところが、翌日その奥さんはまた同じ質問をした。
それが毎日続き、看護師はこの奥さんをクレーマーだと考えた。
ある日、ベテラン医師が同じ質問を受け、ひと言も説明せずに、「奥さん、辛いねえ」と言った。
その奥さんは泣き崩れ、それから同じ質問をしなくなった。
奥さんは、ほんとうは解熱剤が効かない理由を知りたかったのではなく、自分の辛さを誰かに分かってもらいたかったのである。
永田氏は、このエピソードを聞いて泣いてしまったことを打ち明け、自分自身の体験を記している。
永田氏の妻の河野裕子氏が末期癌になったとき、永田氏は、自分が動揺したら彼女が不安になる、と考え平気を装った。
癌の治療法に関する文献を読み、理性を持って妻に接した。
亡くなる前に、河野裕子氏はこんな歌を詠んでいる。
今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉じて
文献に癌細胞を読み続け私の癌には触れざり君は
永田氏は、これを読んだときは辛かった、と書いている。
論説文とも、エッセイともつかない、切実な文である。
これほどに身を切るようにして書かれた文章を入試問題で目にすることは、めったにない。
入試問題でなくとも、これほどに自身のいたらなさに向き合い吐露した文章はあまりないだろう。
永田氏は、河野氏が残した歌のせいで、自分自身の思慮や思いやりのなさと向き合うことになった。
この文章には、永田氏の歌も3首、引かれている。
平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ
君と同じレベルで嘆くことだけはすまいと来たがそを悲しむか
君よりもわれに不安の深きこと言うべくもなく二年を越えぬ
これらの歌には、夫婦の心のすれ違いがくっきりと刻まれている。
ふたりが歌人でなければ、時間と共に忘れ去られていた気持ちであろう。
河野氏が歌を詠んでいなければ、その気持ちに永田氏は気付かぬままだったかも知れない。
歌のせいで、心の傷が永遠にとどめられるのである。
歌は、生半可な覚悟で詠むものではない、と、ふたりの歌を読んですこしこわくなった。
相談や悩みを聞くときには、ただ聞き続け、寄り添わなければならない。
永田氏が自身の痛みによって知った、心の底からの言葉である。
まっすぐに受け止めたい。