朝日新聞土曜版、Be on Saturdayに「街のB級言葉図鑑」というコラムがある。
三省堂国語辞典の編集者の飯間浩明氏が、街で見かけた珍しい言葉を収集し紹介する、というコラムである。
今日(3日)の言葉は、「自転車置き場」であった。
全然珍しくない言葉のように思われるが、そうではない。
最近は「駐輪場」という呼称が多く、「自転車置き場」はほとんど見られなくなっているという。
「駐輪場」は、1980年代から広まった言葉で、自転車だけでなくオートバイなどの二輪車も駐められる場合が多い。
そんな状況の中、飯間浩明氏は奈良県明日香村の寺の前の古い立て札でこの言葉を見つけて写真に収めた。
飯間浩明氏が言葉を収集する目的は、辞書の編纂のためである。
その本来の目的から考えれば、「自転車置き場」という言葉を収集するのは無意味である。
そもそも言葉を見れば意味は明らかであり、辞書で項目を立てて説明する必要はない。
「自転車置き場」を辞書で調べる人がいるとは思えない。
また、この言葉は使われなくなってきた言葉である。これから辞書に載せる可能性もない。
つまり、「自転車置き場」の用例の収集は完全に飯間浩明氏の趣味であり、実用性は皆無である。
では、何のためにこの言葉を収集するのか。
飯間浩明氏はこのコラムの最後に書いている。
今では「駐輪場」が一般化しました。でも、学校などで「自転車置き場」と言っている場合もあります。たまに使用例に接するとうれしくなります。
これが飯間浩明氏が言葉に向き合うときの姿勢である。
珍しいものに出会うと、うれしくなるのである。
昆虫好きが珍しい虫を採集したり、鉄道好きが珍しい車両の写真を撮るのと同じである。
好きだから、うれしいから、やっているのである。
大いに共感できる。
わたしもかつて、「歩って」という音便形が活字になっているのを少女漫画で見つけてカードに記録したことがある。
その用例が何かの役に立つわけではないが(わたしの専門は平安文学である)、用例の発見がうれしかったのである。
世の中には、変わった趣味の人がいるものである。