昨日(2月1日)の朝日小学生新聞、天声こども語は、「二分の一成人式」の話題であった。
2月1日が「二分の一成人式」の日で、20歳を半分にした10歳を、大人への一歩として祝う日だという。
わたしの子どもの頃にはなかった。
今の小学生は、学校で「大人になったら」などの作文を書いたりするようである。
日本の小学生にとって、10歳が大人の半分だ、と言われてもあまり実感はないだろう。
法律上の成人は18歳であり、大学を出て社会に出るのは22歳以降である。
天声こども語によると、ドイツでは10歳が「人生の分かれ目」だという。
日本の小学校にあたる学校は4年生までで終わり、大学へ進学するコースか、職業をめざすコースか、を選ばなければならない。
ドイツでは職人が重んじられており、職業別の国家資格がたくさんあり、早くから自分の道を決めて技術を身に付けることが、大学進学と対等な選択肢なのである。
日本では、中卒や高卒で働くことは、経済力あるいは学力が不足して大学に行けない人がしかたなく選ぶ、一段下の選択肢と考えられている。
ドイツの方が、能力を正当に評価したよいシステムのように思える。
しかし、10歳でどちらかを選ばなければならない、というのは、厳しい。
日本の小学生の将来の夢は、「ユーチューバー」や「サッカー選手」などの現実性の低いものか、「会社員」という具体性のないものなどである。
10歳で将来の職業を現実のこととして考えている子どもは、ほとんどいない。それでよいと思う。
10歳といえば、まだすべてが可能性である。
ドイツのシステムは、その可能性を半分に狭めてしまわないだろうか。
藤井聡太が5歳のころから将棋の名人を目指していたように、特殊な能力がある人は早くに方向を決めてそれに打ち込むのもよい。
一方、まだ自分にどんな能力があるかわからないうちは、じっくり時間をかけて自分のやりたいことや得意なことを見つけていくのもよい。
だいたいのことは、道を誤ってもあとで取り返しが利くものである。
とりあえずは、大人たちは生き生きと楽しそうに働いている姿を見せてあげながら、子どもたちが大きく道を踏み外さないように、見守っておくのがよい気がする。
10歳くらいの子どもたちにしてあげられることは、そのくらいではないかしら。