昨日(26日)の朝日歌壇には、アメリカから郷隼人さんの歌が2首(うち1首は重選)入選していた。
黒人の女性の歌うSUKIYAKIを独房に聴く甘き憂鬱
(高野公彦選第4席)
ラジオよりキュー・サカモトのSUKIYAKIが突然流れ来日本を想う
(永田和宏選第4席、馬場あき子選第4席)
郷隼人さんは終身刑でアメリカの刑務所に38年間服役している囚人である。
朝日歌壇の常連歌人として知られ、歌集やエッセイも出版している。
数年前から投稿が絶え、刑務所が変わり短歌に集中できない環境にある、という近況が朝日新聞に載っていたのを読んだ記憶がある。
今回は、久々の投稿・入選である。3人の選者が揃って久しぶりの投稿であることを記している。
今回の歌は、独房で聴いた坂本九の「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」についての感慨である。
終身刑の郷隼人さんは、二度と日本の地を踏むことなく、アメリカの刑務所で人生を終えることになるであろう。
そんな環境で突然聴いた日本の歌は、どんなに心に沁みたことか。
源顕基の「罪なくて配所の月を見ばや(罪を犯さず、流刑の地の月を見たい)」という言葉は、「古事談」「撰集抄」などの説話で有名である。
兼好法師も徒然草に引用し、「さもありなん」と言っている。
須磨に流謫の身の光源氏が、八月十五夜の月を見て京での宴を思い出し、「二千里の外故人の心」という漢詩を口ずさむ場面なども、同じ思いであろう。
しかし、郷隼人さんのこのときの思いは、源顕基の「罪なくて」というむしの良い空想や、帰京の望みが残る光源氏の望郷の念とはくらべものにならない。
郷隼人さんには、日本への帰国の望みはないのである。すでに異国の刑務所で38年の歳月を過ごし、間違いなくこの地で人生を終えるのである。
そのな境遇で「SUKIYAKI」を聴いた郷隼人さんの気持ちを思うと、胸がしめつけられる。
郷隼人さんにとって唯一の救いは、歌があったことではないか。
独学で詠み始めた歌によって、日本には郷隼人さんに共感し、また、身を案ずる人がたくさんいる。
郷隼人さんの絶望的な望郷の想いを思うとともに、歌があってよかった、と思う。
歌がある限り、郷隼人さんは決してひとりぼっちではない。
歌以外で、終身刑の囚人を孤独から救ってくれるものがあるだろうか。
今回の郷隼人さんの久しぶりの投稿を、わたしも心から嬉しく思う。