鈴木一彦先生の思い出 | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 毎年この時期になると思い出す話がある。

 わたしの大学時代の国語学の師、鈴木一彦先生のお宅での酒席で、先生が話して下さった、戦争の話である。

 

 太平洋戦争の末期、鈴木先生は学徒出陣で特攻隊に入り、鈴鹿の基地に配属された。

 明日はいよいよ出撃、という日に、面会に来た両親と、基地の近くで食事をした。

 母親はずっと泣きっぱなしで、父親も終始無言、先生も何と言ってよいか分からず、黙って食事をした。

 両親に送られて基地に帰るときの気持ちは、生涯でこれ以上の悲しみはないと思われるものであった。

 

 この話を、鈴木先生はいつもと同じ穏やかな笑顔と静かな口調で語り、わたしはボロボロ泣きながら聞いた。

 我が子が明日死ぬとわかっていて、どうすることもできない親の気持ちを思うと、想像するだけで泣けてくる。

 わたし自身も子を持つ親になった今は、そのときの御両親の悲しみが一層よくわかる。

 いまもこのブログを泣きながら書いている。

 

 翌日、鈴木先生が乗った飛行機は敵艦に体当たりすることはなかった。離陸直後に山林に墜落し、先生は生き延びた。

 戦争が終わり、大学に戻った先生は、いちばん戦争に役立たない学問をやろうと考え、国語学の道に進んだ。

 

 この話は、去年も書いたかもしれない。

 夏の恒例の話題として、来年も書くことであろう。

 

 鈴木先生から学んだ国語学はすっかり忘れてしまったが、このエピソードだけは、そのときの先生の表情や口調まで、鮮明に覚えている。