今日は娘と浅蜊を獲った。満ち潮だったためあまり獲れなかったが、それでも1時間余りで小さなバケツに3分の1くらいの収穫があった。数にして30~40個くらいであろうか。
今、ボウルの中で砂抜きをしている。
ときどき様子をのぞいてみると、殻から足や舌(水管)を出してうごめいている。動くときに、貝と貝がぶつかり合う音がかすかに聞こえる。
貝がこんなによく動くとは知らなかった。
せっかくなので俳句でも作ってみようと思い、歳時記をめくってみた。
浅蜊を詠んだ俳句は多い。
夜のしじま饒舌となる浅蜊かな 頓所敏雄
潮吹いて浅蜊進退極まれり 伊藤重美
砂抜きの浅蜊ごとりと動きけり 廣畑忠明
暗がりの浅蜊の恨み声を聞く 藤井佐和子
こういう句は、実際に砂抜きをして読むと、実感としてよくわかる。
幼子のバケツに浅蜊舌を出す 内田郁代
これなどは、まさに今日のできごとである。うちの娘はもう幼子という年ではないが、バケツの中で水管を伸ばす浅蜊の様子を珍しがって観察していた。
こんな長いものがこんな小さな貝に収まっていたとは思えない、と感心していた。
実際に自分で浅蜊を獲り、砂抜きをしてみて、浅蜊を詠んだ句が理解できた。やはり、俳句を作るにしても読むにしても、実体験は必要である。
俳句の種や、俳句に共感する心は、体験によって育つものであると感じた。
浅蜊掘りが、思いがけず俳句理解につながった。
うまくできるかどうかわからないけれど、とりあえず浅蜊の俳句を作ってみるつもりである。
こうしてブログを書いている最中にも、浅蜊が潮を吹く音が聞こえる。