今日(26日)の朝日俳壇は、死と生を詠んだ歌が多かった。そして、戦争も。
不孝者の我に一年孝行のまねごとさせてくれし父逝く
(沼津市 山本昌代)
わたしの父も、先日癌の手術を受けた。孝行のまねごともしていないのが心苦しい。
病む夫がひとり将棋をする背中見つめゐたりき抱けばよかつた
(鹿嶋市 大熊佳世子)
いつまでも生きていようねと夫の手が背中にありて葱刻むなり
(オランダ モーレンカンプふゆこ)
たぶん、日本人は愛情表現が苦手で下手だ。伝える力を育てる国語教室をやっているのに全然伝えられない人も、ここにいる。
ふゆこ氏の夫を見習わねばならぬ。「抱けばよかった」と気づいたときでは、遅すぎる。
「国民の命を守る」ための武器それが命を危険に曝す
(観音寺市 篠原俊則)
「戦わないために今闘っている」おきなわ婆(おばあ)の眼差し揺るがず (横浜市 角田英明)
「戦う」ための武器は、命を奪い合うための武器である。言わないだけで、あの人たちもそのつもりでいる。わかっている。国民は馬鹿ではない。
わたしたちに必要なのは「闘う」ための武器。「言葉」とか、「論理」とか、「団結」とか、「愛」とか。
子どもたちの幸せを詠んだ歌が、わたしは好きだ。
幼子をコートの奥に仕舞い込み有袋類となる大寒の朝
(江別市 長橋敦)
上履きの二足並びて干されたり平和とはこんな日曜の朝
(奈良市 山添聖子)
コートにすっぽりくるまれた幼子も、山添さんちの姉弟も、ずっと幸せでいてほしい。
歌壇がこんな歌であふれる国になってほしい。