今週は、俳句や将棋のことばかり書いていた。
書きながら、心の底に罪悪感があった。
ウクライナで多くの人が血を流しているときに、呑気に俳句や将棋を楽しんでいる場合か。
今日は、ロシアとウクライナの戦争について書こうと思う。
今日(25日)の朝日新聞の朝刊の「声」欄に、「拝啓プーチン様 正しい道を」と題する投書が載っていた。プーチン大統領に宛てた手紙の形をとった投書で、筆者は14歳の中学生である。一部を引用する。
私はまだ中学生で分からないことがたくさんあります。しかし、一つ確実に知っていることは、「戦争は誰一人幸せにしない」ということです。どんな人間でも間違った道を選んでしまうことがあります。しかし、自分の選択が間違っていると気づいた時、本来の道に戻ろうと努力することが大切なのではないでしょうか。
まったく、その通りだと思う。
この投書を、プーチン大統領はどのような気持ちで読むだろうか。
しかし、この投書をプーチン大統領が目にする可能性は、限りなくゼロに近い。
もし運よく目にしたとして、プーチン大統領が戦争をやめようと考える可能性も、ほぼゼロである。
「戦争は誰一人幸せにしない」という言葉は、誰かを幸せにしようなどとは微塵も思っていないプーチン大統領にとって、まったく心に響かないであろう。
「自分の選択が間違っていると気づいた時、本来の道に戻ろうと努力することが大切」という言葉も、プーチン大統領には無意味である。彼は「自分の選択が間違っている」とは、決して思わない。
では、この投書は無駄であろうか。いや、そうではない。
この投書がプーチン大統領の心を動かす可能性は、限りなくゼロに近い。しかし、限りなくゼロに近いことと、ゼロとは大違いである。
スウェーデンの15歳の女の子が毎週金曜日に国会議事堂の前で行ったストライキが地球温暖化に与える影響は、限りなくゼロに近かったであろう。
今、グレタ・トゥーンベリさんは環境問題のオピニオンリーダーとして、世界に大きな影響を与えている。
無力であっても、何もしないで黙っているのと、自分にできる形で声を上げるのとでは雲泥の差がある。
水の中の小さな波紋は、わずかであっても周りに影響を与えて広がっていく。
中学生の投書がロシアのプーチン大統領の心に響くことはないかもしれない。
しかし、埼玉県の学習塾経営者の心には確かに響いた。そして今、こんなブログを書いている。
このブログの読者はせいぜい20人くらい。朝日新聞の「声」欄と比べても、はるかに影響力は小さい。
しかし、ひょっとしたら、書けば誰かの心に響くかもしれない。書かなければ、何も変わらない。
無力なブログであっても、平和のために声を上げ続けよう。
俳句や将棋のことばかり書いている場合ではない。
ウクライナでは、今でも多くの人が血を流している。
プーチン大統領、あなたは間違っています。